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7月22日(水)  ポルト

 朝から小雨。宿のおじさんも、肩をすくめて「シューヴァ(雨だねえ)」と。中庭のバラが雨に濡れて、鮮やかだ。
 昨日の貴族の館へ行くと、驚くほど親切かつ詳細に作られたポルトの芸術系の学校のリストが用意されていた。このリストを見ると、ポルトには美術や音楽、舞台関係など、芸術系の学校がいくつかあることが分かった。ポルトガルの美術学校がどんな感じなのか見てみようと、妻に付き合ってもらって高等美術学校を訪ねてみる。
ポルトガル7.23やどの窓からポルト、宿の窓から

 高等美術学校は一昨日から夏休みで、がらんとして学生はあまりいない。いくつかの教室は、子供向けのワークショップの会場になっていたりする。
 途中で出会った、宮崎アニメに狂っている、と言う学生が、学内のアトリエを一部屋ずつ案内してくれる。アトリエの感じは、日本の美術大学とあまり変わらない。
 以前、サントリー美術館で見た古い屏風絵の展示で、屏風のことをポルトガルではBiombo(ビョンボ)と言ったと解説されていたので、その学生に「ビョンボ」と言ったらきちんと通じて、この街の美術館で見られる、素晴らしいよ、と教えてくれた。そして、ポルトの美術館やギャラリーについて、いろいろと情報をくれた。

 宿のそばの、昨日夕食を食べたカフェで昼食。ビールに、オムレツとラザーニャ。ようやく適量で、それなりにおいしく食べられる。
 食事の後、一昨日見た古書店で、大きく、美しい図版のたくさん入ったアズレージョの本を、少し迷ってから買う。店の主人によると、日本人の客はあなたが初めてだ、とか。ポルトガルでは、この夏休みシーズンにもかかわらず、日本人観光客を見かけることが少ない。ましてや古書店を見て回る日本人など、ほとんどいないのだろう。
 妻が見たがっていた、近くの布地の店を覗くと、カーテン生地など、とてもきれいで安い。

 先ほどの美術学校の学生の話では、ポルトの美術館は、古いものを展示しているソアーレス・ドス・レイス国立美術館と、現代美術館とが主要な二つらしい。そこで、ビョンボ(屏風)も見られるという、ソアーレス・ドス・レイス国立美術館の方を見に行く。古い大きな建物だ。
 この美術館では、ポルトガルの染付けの焼き物の展示室が一番良かった。ポルトガルの人物や、風景、植物などいろいろな絵柄があったが、日本か中国の染付けの柄を写したと思われる古い皿が、抜群に面白かった。おそらく、描き手もよく分からずに写したのだろう。ほとんど幾何学模様化している松の木や兎、鹿、太湖石など、もとの絵からはかけ離れてしまって、見たこともないような奇抜で斬新な絵柄になっている。この絵の写真を撮って帰りたかったが、残念ながら撮影禁止。
 この美術館の名前にもなっている19世紀の彫刻家、ソアーレス・ドス・レイスをはじめ、ポルトガルの近代彫刻や絵画の展示は、あまり面白いものとは思えなかった。
 
 ポルトガルの家具調度の展示室に続いて、日本の南蛮屏風、南蛮漆器が展示されている一部屋があり、南蛮屏風の横のプレートには、やはり「Biombo」と表示されていた。南蛮屏風の柄は、お決まりの南蛮船の入港だが、柔らかい毛筆で描かれた人物や海の波の、日本絵画独特の軽やかな線が印象に残った。
 日本的繊細さの対極のような印象のあった南蛮漆器も、ここポルトガルで見ると繊細で、螺鈿や蒔絵のつる草の柄が夢のように美しく見えた。この黒い漆の中に浮かび上がる乳白色の螺鈿の輝きも、大航海時代に南蛮船に積まれて、遠く日本から海を渡ってやってきたものだろうか。
 当時の日本人には、遥か海の果てに思えたであろう南蛮の国、ポルトガルに今自分がいて、南蛮漆器を見ているということが、まるで別世界のことのように現実感がなかった。

 その後、妻と別行動でタクシーに乗り、これも先ほどの学生が教えてくれた、現代作家の作品を扱っているギャラリーを見に行く。
 このタクシーの運転手は、なにかしきりに話しかけてくる。どうも「今日は寒い」と言っているらしいのだが、いまいちよく分からず、うまく反応できずにいると、そのうち運転手の声が大きくなり、ついにこいつには言葉が通じないと思ったのか、走行中にもかかわらず両手をハンドルから離し、後ろを振り向いて、激しく寒そうな身振りをし始めたので、びっくりした。頼むから早くハンドルを握ってくれ!
 ポルトガルでは言葉が通じなくても比較的みんなわかるまで親切に説明しようとしてくれるが、走行中にハンドルを離してまでコミニュケーションを優先するとは…。それとも単に不注意な人だったのだろうか?
 ギャラリーは展示替え中で、ブラジル人の作家の作品を展示しているところだった。

 7時ごろにカテドラルで妻と落ち合う。この大聖堂は、12世紀に建てられたという。その後、何度か改修の手が入っているということだったが、一昨日見た後世のいくつかの教会より、はるかにシンプルかつ堂々とした造りが素晴らしかった。
 夕暮れの曇り空の下で見る石造の大きな建築物は暗い印象でもあったが、内部は何本もの石の円柱が聳えて、高いアーチの天井を支え、ステンドグラスのバラ窓から光が射し込んでいた。
 中世建築のもつ素朴な威厳とスケールの大きさは、近世以降の建築とは、はっきりと一線を画しているように思われた。人の作ったものであっても、なぜか作り手の小賢しさをまったく感じさせない。
彫刻家のロダンは、このことを的確に語っている。

 「中世期では、芸術は群団から出て、個人から出なかった。匿名です。本寺(カテドラル)の建造者たちが自分の製作に名を書かなかったのは、ちょうど今日の労働者が自分の作った道路に名を書かないのと同じです。われわれは一個人に傾きます。芸術はそれで小さくなりました。」(「ロダンの言葉抄」岩波書店,高村光太郎訳より)

 ポルトのカテドラルも、このあと見たコインブラやリスボンのカテドラルも、その与える印象は、まさにこのロダンの言葉のとおりとしか言いようがない。
 西洋美術史に燦然と輝くルネサンスという時代は、大きな曲がり角だったのではないだろうか?綺羅星のように輩出したルネサンスの芸術家たちの名前は、同時に芸術が「一個人に傾き」だしたことの証明でもあるだろう。
 そして芸術は小さくなったのだろうか?
 匿名の集団の作り上げたカテドラルの力強さは後世を圧倒して感動的であり、自分の名前で作品を作る立場の僕は、とても複雑な気持ちにもさせられた。
 
 回廊のアズレージョも見たかったが、時間が遅く、閉まっていて見そびれる。

 夕食に入ったレストランは感じよく、味も比較的良かったが、妻の頼んだイワシの揚げ物は、半分の量(開いたイワシ四枚)にもかかわらず、その半分を食べるのがやっと。後ろの席の人は、通常の量(揚げたイワシ八枚くらい)を食べていたので、やはり日本人とは食べる量が違う、と思わざるを得ない。タコとトマトの雑炊が美味しかった。夕食後は宿のそばのカフェで休んでデザートを食べる。
 疲れる。

 -7月23日へ-