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           ―模写をはじめるに当たって―


(2007年は、大きな発表はしない代わりに、鳥獣戯画の模写(臨模)をしようと思っています。模写を始めるに当たって、模写について、日本画の線について、今まで考えてきたことをまとめてみました。)

模写を終えてのまとめは、「鳥獣戯画の模写を終えて」

        ―1、余白にぶつかる―


 学生時代、初めて墨で作品を描いたときに、最も難しかったのが余白であった。墨の黒一色で絵を描こうとする場合、紙の地のままの白い部分を残さなければ、真っ黒になってしまい、絵にならない。そこで余白が必要になってくるわけだが、絵を描き進めていくと、墨で描いた黒い部分ばかりが画面の中で強くなって出てきてしまい、紙の地のままの部分が負けて、どうしてもそこだけ抜けたように弱く見えてしまうのだ。紙の地を残したままの余白が、墨で描き重ねた部分に負けないようにするにはどうしたらいいのか。これが学生時代に墨で描いていてぶつかった問題だった。


 そのときには、結局白の絵の具を塗ることで余白の部分にも充実感や量感を出して仕上げたが、白を塗らずに、余白を紙の地のまま残して仕上げるにはどうすれば良かったのか、という疑問が残った。白を塗ると、確かに強くはなるが、どうしても重くなってしまい、紙の地を残したときの軽さや気持ち良さは失われてしまう。余白を持たせる上では、白と黒の面積比や形態を緊張感ある構成にすることも大事だが、それだけでは根本的な解決にはならないように思った。


        ―2、昔の水墨画を見て―


 そこで、昔の水墨画の作品が、どのようにこの問題を解決しているのかと思って調べていて気付いた事は、線の緊張感(筆の力とも言える)が余白の強さを持たせているのではないか、という事だった。しかし、余白を持たせることが出来るだけの緊張感ある線が、いったいどうすれば描けるのか、どうしてもうまくつかめない感じがした。自分でいろいろ線を引いてみながら、昔の水墨画の線とは、何か決定的な違いがあるように思ったが、それが何かが分からなかった。 


 現代の水墨画の作品にも、良いものもあるとは思うが、筆の線、という点に絞って見ると、絵を支えるだけの強さに欠けるか、あるいは強さはあっても硬すぎるかで、昔の水墨画に見られるような、自在な柔らかさを持ちながら、絵をしっかり支えるだけの強さを持った線というのは、殆ど見られないように思った。そして、線の緊張感で持たせられない分を、余分な陰影や、入れなくてもいい手数を入れて、何とか持たせている絵が多いように思えた。


        ―3、書からのヒント―


 それ以来、柔らかく、しかも強さのある線を引くにはどうすれば良いのか、という疑問を抱えていたが、中国には書画同源という言葉があり、絵を学ぶ学生は、同時に書も学ぶ事が多いという事を知り、書にヒントがあるのではないか、と思った。書は正に線の芸術である。そこで、実際に書を習いに通ってみたのだが、確かに書には、自分一人では気付かなかったヒントがあった。


 それは、紙の上に線を引くときに、上下左右の二次元的な動きだけではなく、紙の厚みの中へ墨を染み込ませてゆく、紙に対して垂直方向の、三次元的な方向への意識である。線を点の集合と見たときに、一本の線を構成する一つ一つの点が、しっかりした充実感を持つことで、初めて一本の線が力を持つ。その一つ一つの点の充実感は、紙の厚みへの垂直方向の力によって決まるのだ。特に、起筆に当たる一番初めの点に、どのような力を持たせるかで、線全体の力や性格が決まる。もう一つは、筆先への意識である。筆先が、今、どちらの方向を向き、どこを通り、どのような力がかかっているのかを、筆を持つ手の中で敏感に感じ取り、筆先をコントロールすることが、筆全体をコントロールする上での基本であり、ひいては点や線の様々な力加減やニュアンスを生み出す。現時点で書から学び得たヒントは、理屈っぽく書くと、以上のようなことになる。


        ―4、線描の学習― 


 充実感のある線を引くことが出来ると、充実感のある余白を作り出すことが出来る。絵の具で全て塗り潰さなくても、強さのある画面を作り出すことが出来るし、そうすると絵画空間の作り方にも選択肢が広がる。昔の日本画が、薄塗りでも強さのある画面を作り、多様な絵画空間を作り出すことが出来た理由の一つは、この線の力にこそあるのではないだろうか。


 学生時代にイタリアを旅行した折に見たルネサンス絵画の傑作の数々も、その華麗な色彩の奥で画面を支えているのは、やはり線であった。そして、線の特徴が、そのままその絵の個性につながっているように思われた。線というのは、洋の東西を問わず、絵画を支える最も基本的な要素なのではないかと、その時思った。


 昔の日本では、絵の学習過程の初歩に、必ず線描の学習があったが、現在の日本画の学習過程からは、殆ど失われていると言っていいと思う。明治日本画の朦朧体は、線を否定したかに見えるが、それとて線が引ける力を前提としてのことであると思う。線を学ぶ大切さは、現代にもう一度見直されるべきである。


 線描の学習方法としては、前田青邨はじめ、昔の画家の多くが古典模写の大切さを挙げている。もちろん、古典模写には線描の学習以外にも様々な意味があるとは思うが、まずは線の学習の第一歩として、白描の作品の模写を始めたい。そして、過去の画家達が、どのようにしてその時代や、自分の心、描こうとした意図などを線に置き換えたのかを学びたい。               2007年3月17日


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