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群青色と矢車草

 五月になると、近所の家の庭や畑の片隅で矢車草が咲きだす。八年前、燕市に引っ越してからこの矢車草に魅かれるようになり、毎年楽しみにしている。
 矢車草というと、エジプトのツタンカーメン王の棺の中に入れられていた花、という話を思い出す方も多いようだ。ツタンカーメンの墓を発掘したイギリスのハワード・カーターは、王の棺を開けたときに、王妃の手で入れられたと思われる矢車草の花環を見つけ、まばゆいばかりの黄金の副葬品の数々よりもこの花環が美しかった、と語っている。矢車草の花の可憐な青紫色は、少年王の黄金の棺にさぞかし美しく映えたことだろうと思う。残念ながら3000年以上棺の中で眠っていたこの矢車草の花の色は、棺を開けたことで空気にさらされて消えてしまったらしい。 
 私は子どものころにこの話を読んで、一時期考古学に憧れたこともあるので、何か縁のある花なのだろう。今年もスケッチし、作品としても描いた。
 

 しかし、この青紫という色を日本画の絵の具で出すのは難しい。近代以降、日本画の絵の具も種類が増え、色数も大幅に増えたので紫の絵の具も手に入るが、近世以前の絵の具では単独で紫色を出す絵の具はない。江戸時代の絵の具の組み合わせで描く、ということを試している私としては、紫という色は一つの難関なのだ。以前にも書いたが、臙脂の染料と青の組合せで紫を作っていくことになる。(臙脂綿と臙脂色
 古い絵を観ていると、うまく組み合わせて紫色を出すのに成功している絵もある。今回私も矢車草を描くにあたって、青紫を出すべく、いろいろと組み合わせ方を工夫してみたが、どうも納得いかない。臙脂と藍や群青を組み合わせていくと、確かに紫色は出来るのだが、どこかくすんだ色になってしまい、あの矢車草の鮮明な色の印象からは離れてしまう。絵の具の色を鮮明に出したいときには、あまり混ぜてはいけない。いろいろ試した末、鮮やかな岩絵の具の群青を他の色と混ぜたりせずに、そのまま乗せるのが一番良いのではないか、という結論に達した。

 群青というのは、日本画の絵の具の中でも、特に鮮やかな青色だ。藍銅鉱という鉱物を砕いて作られるこの絵の具は、鉱物ならではの独特の深みと輝きをもっている。粒子の大きさで色が変わり、粗く砕くと紺青(こんじょう)とも言われる深い瑠璃色、細かく砕くと明るい空色になる。この群青の放つ鮮やかな印象は、矢車草の花の印象にピッタリくる。しかし、青紫ではない。あくまでも青だ。つまり、鮮やかさの印象は合うが、色味は若干ずれてしまう。しかし私は、色味よりも、パッと見たときにまず感じる花の鮮やかな印象を取ることにしたのだ。
 そんな無理をせずに紫だけは新しい絵の具を使えばいいではないか、と言われそうだが、天然の鉱物を砕いた岩絵の具の群青には、そうまでしてこだわるだけの、他には替えられない特別な輝きがあるのだ。数年前に描いた矢車草には紫色の絵の具を使ったが、今回群青で描いた矢車草の方が、より矢車草の印象に近づけられたのではないかと思う。

五月の花 トリミング

 考えてみれば、江戸時代の尾形光琳の代表作、燕子花図屏風の中にたくさん描かれている燕子花の花は、全て群青だ。燕子花の花も本当は紫だから群青では色味が合わない。
 藍と臙脂を混ぜれば紫色だが、染料同士の混色なので、色合いは良くても水のようにさらっとしてしまい、金屏風に花を描くには弱い。花の部分だけ白で下地を作っておいて上からこの紫を掛ける、という方法だとしっかりするが、群青の輝きにはかなわない。
 光琳もやはり、色味を実物に合わせることよりも、花の鮮やかさを絵の具の輝きに託して表現する方を選んだのだろう。絵の具じたいが花の生命感を表す、と考えたのだ。これは、日本画の絵の具ならではの発想といえる。
 日本画の絵の具には、鉱物を砕いた岩絵の具もあれば、土や貝殻をパウダー状にした水干(すいひ)絵具もあり、植物や虫から採る染料もあって、さらに金銀の金属も使う。それぞれが単なる色ではなく、その物質特有の質感を持っている。絵描きは、その質をも含めて絵の中に活かすよう考えて絵の具を使う。群青という絵の具は、単なる青ではなく、鉱物を砕いたざらっとした質感やその独特の輝きをも合わせて初めて「群青」なのだ。
 同じように、日本画の絵の具の緑青(ろくしょう)は、単なる緑ではない。孔雀石という鉱物を砕いた緑であり、やはり鉱物としての質や輝きを持っている。昨年、六曲屏風いっぱいに夏草を描いたときに、この緑青をたくさん使った。夏草は日を浴びて明るい黄緑色に見える。一方、緑青という絵の具は、やや青緑だ。この時は混色した黄緑も少し使ったが、多くは緑青のもつ鉱物の輝きをそのまま生かして、夏草の生きた印象を表すことにした。
 昔、絵を習い始めたときに、草や葉も単なる緑ではない、よく見て色を作りなさい、と教えられたが、この屏風を描くときには、微妙な色をいろいろ作って草を表すよりも、緑青の緑に統一してしまうことで逆に夏草の生命感を表そうと思ったのだ。

 日本画の絵の具というのは、人の手足となるような便利な絵の具ではない。水彩絵の具やアクリル、油絵の具とは、そこが根本的に違う。どの色も均一に調整されていない、それぞれの素材の特性を残し、質感をもって主張してくる。そのため、こちらが絵の具に寄り添い、一つずつの絵の具の性質を理解し、それぞれの質感をも活かすように発想して使っていかなければならない。初めはそこが難しく、つまずくこともあるが、使っていくうちにだんだんと面白さになっていく。そして、絵の具が質感をも含めて自分の描こうとしたものにピタッと合ったとき、日本画の絵の具を使う醍醐味を感じる。便利な手足になってはくれないが、描き手と絵の具の共同作業がうまく成り立った時には、逆に絵の具が絵を助けてくれるのだ。あえて均質にせずに残された素材の質感が、強みとして発揮されると言ったらいいだろうか。
 群青の輝きは、光琳の燕子花を生きたものにし、私の矢車草にも生命感を与えてくれているように思う。

2018年5月

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椿 椿 F0号(14㎝×18㎝)
 
紫陽花 紫陽花 F0号(18㎝×14㎝)

百日草 百日草 SM(22.7㎝×15.8㎝)

五月の花 大
 五月の花 M6号(41.0㎝×24.2㎝)

水引草 水引草 P4号(33.4㎝×21.2㎝)