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トップ2017年03月
筆について

 東洋人が筆に求めたものは、柔軟さ、水分の含みの良さ、先端がまとまって鋭敏に効くこと、この三つであると思う。東洋の筆といってもいろいろあり、私の知らないような筆もたくさんあることと思うが、この三つの要素は、多くの画家、書家、文人たちが筆に求めたものではないだろうか。
 この三つが揃うことで、筆が自分の肉体の延長のような存在となり、自在な線を描き出すことができるのである。柔軟さと含みの良さは、線に豊かな表情を生み出し、先端の鋭敏さは、線の中に一本しっかりとした筋を通し、線を支える骨格を生み出す。
 線の中心となるこの筋、骨格は、もちろん線の中に一本はっきりと見えるわけではないが、しかしこれが通っているか通っていないかで、線が生きるか死ぬかが分かれるのである。骨の通っていない線は、べったりとして弱弱しい。
 この筋、骨格を生み出すのが筆の先端部分である。では、筆の先端がいかにして線の中心となる骨格を生み出すかといえば、これは描き手の呼吸が筆の先端を伝わって線の中に入り、骨格となるのである。描き手の呼吸こそが筆をコントロールする源であり、呼吸という人の肉体に備わった活動が筆を通して線の中に流れ込むことで、それぞれの描き手の個性が端的に筆の動きの中に現れるのである。そうしてはじめて線が生き、描かれたものにも生命感が宿る。鑑賞者は、線を通して描き手の生命感を感じとり、個性を感じとることが出来るのである。
 東洋人にとっての筆というものは、そのような役割を求められる道具なのだ。単に線が引ければいいというだけではない。自分の呼吸を繊細に、的確に伝えてくれる道具でなければならない。
 そしてまた、筆の先端を通して呼吸を伝えるように線を描くことが出来るようになると、これがとても気持ち良いものであることが分かる。自分の心と体が解放され、心地よく循環する感じがあるのだ。昔の文人たちがあれだけ筆にこだわったのも、この気持ち良さがあってこそであろう。
 描き手の呼吸を如実に反映し、しっかりと途切れない骨格を形作る線に価値を見出してきたのが東洋の絵画や書であり、それゆえにこそ筆にこだわり、大切なものとする伝統も出来上がってきたのだと思う。


 さて、その筆の持ち方に、一つの疑問がある。
 近世以前の日本の絵画の中に描かれた筆を執っている人物を見ていると、手首に対して手の甲をしっかりと立てて筆を持っているものが多い。
 北斎の門人、露木孔彰による、筆を執って制作している北斎を描いたスケッチがある。この絵を見ると、北斎はしっかりと手の甲を立てて筆を握っていたことが分かる。同業の絵師、しかも実際に北斎を見ていた門人によって描かれたスケッチだけに、この筆の持ち方には信憑性があるだろう。このスケッチをもとに作られたと思われるすみだ北斎美術館の北斎の模型は、全体のポーズは似せているが、残念ながら肝心の筆の持ち方が違ってしまっている。手の甲が寝ているのだ。これでは迫力がない。
 hokusai北斎仮宅之図 露木孔彰筆「北斎娘・応為栄女集」 久保田一洋著・藝華書院 ・2015年

 同じ浮世絵師、喜多川歌麿の浮世絵版画に出てくる女性も、手の甲を立てて筆を執っている。
 utamaro 「教訓親の目鑑 本性者」喜多川歌麿筆 キヨッソーネ東洋美術館

 また、河鍋暁斎の門人だった英国人ジョサイア・コンドルが、旅館で筆を執って絵を描いている暁斎のスケッチを残しているが、この絵の中の暁斎も手の甲をかなりしっかりと立てている。
 kyousai暁斎先生、日光にて 明治18年8月5日 ジョサイア・コンドル筆 「もっと知りたい川鍋暁斎生涯と作品」・狩野博幸・東京美術・2013年 から

 円山応挙とその門人によって描かれた大乗寺障壁画の中には、芭蕉の葉に絵を描く子供の図があるが、この子供も手の甲を立てて筆を執っている。
 大乗寺襖絵画像
 他にも、鎌倉時代の絵巻の人物などを見ても手の甲を立てて筆を持って字を書いているものがあり、手の甲を立てる、という筆の持ち方が古来一般的だったのではないかと思われてくる。
 私は学者ではないので、さまざまな時代、地域の図像資料をまんべんなく集めて研究したわけではないが、筆の持ち方に関しては、おおよそそのようなことが言えるのではないか、と考えている。
 しかし近・現代の日本では、手の甲をしっかりと立てる、という筆の持ち方は少数派になっていったのではないだろうか。私個人の経験からは、筆の線にしっかりとした骨格と力、同時に柔軟さとコントロールの良さを求めると、この手の甲を立てる持ち方には合理性がある、と感じる。中国では、今も手の甲を立てる筆の持ち方が一般的に行われているようである。
 筆の持ち方は、描き出される線と密接な関係があるはずである。日本人の筆の持ち方は、いつ、どのようにして、なぜ変わってしまったのか。あまり注目されない視点のように思われるが、個人的には大切な問題点を含んでいると思っている。
2017年4月

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