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トップ2011年08月
毛利武彦先生

 2010年4月13日早朝に、毛利武彦先生が89歳で亡くなりました。
毛利先生は、私の出身校である武蔵野美術大学の名誉教授でしたが、私が大学に通っていた頃には、もうほとんど学校には顔を出しておられず、ただ展覧会で作品を見て知るだけの先生でした。
 そうは言っても、毛利先生が武蔵美の中で大変大きな存在だったということは、一学生の私にもなんとなく感じられ、卒業した武蔵美の先輩たちの多くが毛利先生を深く尊敬しているということが、とても印象的でした。
 
 私が毛利先生の作品に初めて衝撃を受けたのは、学生の時に、ある百貨店で開かれた現代日本画の展覧会で出会った100号ほどの海の絵でした。冬の日本海を描いたその絵は、寄せてくる荒々しい波と、厳しく澄み切った三日月のかかる夜空が、悲劇的な激しさと格調の高さをもって、強く胸に迫ってくる絵でした。それは、同じ会場に並んでいた他の画家たちの絵とは全く別格と言ってよく、その場に並んだ絵の中で、ただ一つ本物の気持ちを語っている絵、この絵だけがなにか真実に迫っている、という印象を受けました。
 波、岩、空、月、それらを描く全ての筆跡が、悲壮ともいえる作者の気持ちを正直に画面に刻み込んでおり、この海を描かずにはいられなかった作者の強い気持ちを伝えていました。
 そして、画面がどんな結果になろうとも、形を取り繕うような仕事だけは意識的に排除しようという強い意思が、その海の絵を他の絵から遠く隔てていたように感じられました。
 私はその絵の前に立ったまま、その厳しい美しさに打たれ、離れがたく立ち尽くしてしまいました。
 
 毛利先生の画集を武蔵美の図書館で手に取ったのは、その後だったか、それとももっと以前だったか覚えていないのですが、ともかく冬の海の絵を見てからは、画集を見ていても、全ての作品に同じ姿勢が厳しく貫かれていることが、はっきりと感じられました。
 絵を描く上で第一に重要なことは、自分の描きたいと思った対象にいかに真っ直ぐ、最後まで向き合えるかということだ。毛利先生の絵は、そう語っているようでした。
 この画家に、一度でいいから会ってみたい、強くそう思いました。
 
 毛利先生には、幸いにも一度だけ絵を見ていただく機会がありました。作品はとても厳しく、険しい印象がありましたが、実際にお目にかかった先生はむしろ柔らかく、純粋さ、誠実さ、気持ちの自由さといった印象を受けました。
 戦後の厳しい時期に本格的な画業をスタートされた先生は、おそらく大変な努力をなさったはずですが、努力とか、どれだけ頑張ったといったこと以上に、そうした純粋さ、誠実さ、そして自由な気持ちを失わずに持ち続けた事こそが、先生の画業を根本から支えたものなのではないかと、その時に思いました。
 絵に関していただいたいくつかのアドバイスもとても貴重なものでしたが、それ以上にそうした先生の人柄から感じたものが大きく、先生の作品と同じ色に染め上げられたようなアトリエの雰囲気と共に、強く印象に残っています。
 
 また、私が杉並区善福寺に住んでいるということを知って、戦争で亡くなった美術学校の親友が善福寺のアトリエで制作していたことを、失われた卒業制作の記憶と共に静かに語られ、「あなたの家が善福寺だと聞いた時には、いいなあと思った。」と、しみじみとおっしゃっていたのが印象的でした。
 先生の中には、戦争で亡くなった美校の親友が常に自分の制作を見つめている、という意識があったのだと思いました。

 その一ヶ月ほど後、おそらく先生最後の創画展出品となった2007年秋の作品は、だいぶ体調を崩され、制作できる時間も限られた中での作品だったと思いますが、中央に真っ直ぐ落ちる銀の滝と、その滝の前の断崖に生える一本の黒い木が描かれた大作でした。
 もっともっと深くなにかを探ろうと葛藤する強い意欲を感じさせられる作品で、数十年の画業を積み重ねてこられた高齢の先生が、まるで初心の画学生のように、一から苦心して絵を作り上げていく姿勢で取り組んでいることに、改めて深く感動させられました。この作品のために、大下図を真っ黒になるまで描いていた、という奥様のお話も忘れがたいものでした。
 
 もう一度先生にお目にかかりたいと思っていましたが、先生の訃報に接し、大変残念な気持ちと共に、一度でもお目にかかり、その人柄に接することができたことを、今とても有難く感じています。そして、真剣に絵と対峙し続けた最後の画家が去ってしまったと、深く感じます。
 画集の中の先生の写真は、穏やかでありながら厳しい視線をこちらに向けていますが、訃報に接してから改めて見ていると、次の世代に何かを期待し、託そうとしているようにも見えました。 

 いま、主の居なくなったあの久我山のアトリエは、思索や葛藤の制作から開放され、空虚な空間になってしまったのでしょうか。
 2007年の夏の終わり、障子の隙間から鮮やかな緑の覗く礼拝堂のように厳かなアトリエで、毛利先生にただ一度絵を見ていただいていた自分を、改めてゆっくり振り返りたいと思っています。
 2010年4月