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7月24日(金)  コインブラ-リスボン

 朝、宿のカウンターの電話を借り、今日、明日のリスボンの宿を予約する。宿のおじさんが、僕の持っていた「地球の歩き方」に興味を示し、コインブラ宿泊情報のページをコピーする。どこの宿が載っているのか、気になるようだ。

 駅でリスボン行きインテルシダーデ(特急)の切符を買い、宿に荷物を預けてから、コインブラ観光に。
 まず、サンタ・クルス修道院。この修道院の内部は、白い壁の下半分が、青一色で宗教画を描いたアズレージョで飾られている。絵の筆致は柔らかく、とても良い。
 アズレージョを見ていると司祭が現れ、土地の人が集まって来て、ミサが始まったので、後ろの方に座って見ることにした。司祭が聖杯にワインを注ぎ、飲んだ後、白い布で杯をぬぐう動作は、司馬遼太郎も書いていた通り、茶道の所作を思わせた。
 奥の参事会室、聖器室を見学する。ここの大きな壁面を飾るアズレージョは、高い天井の方まで白地に青と黄の抽象的な柄で埋め尽くされて更に美しく、窓から差し込む朝日に明るく輝いて、キリストの磔刑像や聖具を囲んでいる。この美しい空間で、修道院の人たちは黙々と日常の仕事をこなしていた。奥にはもう一つ、素朴な祭壇があり、土地の人が十字を切って花を供えている。
 その先には、「沈黙の回廊」と呼ばれる回廊がある。ここは明るい日が差し、石の回廊に囲まれた中央には緑の草が生え、16世紀のアーチの下を歩いていると、なんとも静かないい空間だった。

ポルトガル7.24サンタクルスカフェサンタ・クルスのカフェ ポルトガル7.24カフェのおじさんカフェのおじさん

 修道院の付属のカフェでパンと焼き菓子を食べ、市場を見た後、エレベーターで丘の上へ上がり、マシャード・デ・カストロ美術館へ行く。
 美術館の地上階は大掛かりな改装工事で閉鎖中だったが、見たいと思っていた地下の古代ローマの遺跡は、その重要性から、できるだけ早く多くの人に見てもらえるように、ということで一足先に公開されており、幸いにも見ることができた。地下に眠る、ローマ時代の遺跡の中に入れるのだ。
 案内のおじさんに続いて階段を地下に下りると、この土地に古代ローマ人の築き上げた広い街の中を、実際に歩いて回ることが出来る。今でもしっかり歩くことの出来る石畳の立派な道、壁、アーチ。この険しい丘の土地に、さぞかし大変な工事だったことだろう。古代ローマ人が建築技術に秀でていたということは、歴史の教科書に必ず書かれている事実だが、こうして実際に、その二千年近くも前の確かな技術を目の当たりにすると、ただ圧倒される。ヨーロッパの地下には、まだどれだけ古代ローマ人の建造物が眠っているのだろう。ポルトやリスボンも、古代ローマ時代からの街だ。
 案内してくれた美術館のおじさんが、穏やかに、こちらのペースにあわせ、付かず離れず、もの静かなガイドで印象に残る。

 最後に、コインブラにある二つのカテドラルのうち、旧カテドラルを見る。12世紀に建てられた大聖堂で、外見は堂々としてはいても格別の装飾といったものはない。しかし内部は、石の壁が鮮やかなエメラルドグリーンやコバルトブルーの幾何学模様のタイルで大きくアーチ状に飾られ、驚くほどの美しさだった。タイル一枚一枚に凹凸が付けられ、美しいつやがある。思わず妻に「これは来て良かったよ」と言った。石の大聖堂の重厚な暗い空間に、イスラムから来たタイルが異国風の開放的な明るさを沿え、全体に簡素な印象の中に、異文化が共存している。ここはヨーロッパの西の端、ヨーロッパの外からの風を感じる空間だった。
 
 聖堂内の階段を登ると、明るい日の射す回廊に出た。この13世紀ゴシック様式の大きな石造の回廊は、サンタ・クルスの回廊よりさらに重厚であり、中世にタイムスリップしたかと錯覚するような空間で、中世建築の圧倒的なスケールの大きさと、素朴な力強さを感じさせた。
 ロダンは、「現代の建築は何もかも正面(ファサード)へ広げてしまう。しかし、昔の建築は奥行きで建てている。そして深さと肉付けを与えている」と語っている。「光と陰との分配で、中世期の建造家は建築をあんなに力強い生命に生かしたのです。」
 ロダンが語っている対象は、中世フランスの建築だ。しかし、この回廊の石の柱やアーチも、まさに彫刻のような豊かな肉付けによって、限りなく大きな、深い奥行きのある空間を生み出している。建築全体が、一つの巨大な彫刻作品のような量感をもって造られているようだ。何の飾りもない壁や床ですら、年月が石の表面に作り出した複雑な表情と陰とが一体となって、力強い厚みを感じさせる。
ここコインブラの旧カテドラルは、この旅行で見た建造物の中で、最もあざやかな印象を残した。

ポルトガル7.24車窓から車窓から ポルトガル7.24インテルシダーデインテルシダーデで

 インテルシダーデでリスボンへ。
 今日と明日泊まるリスボンの宿は、繁華な地区、バイシャの真ん中にある。ポルト以来溜まっていた洗濯物を久々に風呂で洗い、小さなベランダに干して、気持ち良い。四階の部屋なので、隣のベランダなどが見えて、眺めが楽しい。
 通りに机を並べるレストランで、魚介の雑炊など、美味しく夕食を食べる。通りの向こうには、テージョ川に向かってコメルシオ広場の大きな門が見える。たくさん食べたはずだが、美味しかったからか、こちらの胃がポルトガルに慣れてきたからか、気持ちよく食べきってしまった。

 食後、リスボンの銀座(?)、シアードの方へ散歩する。週末だからか、観光シーズンだからか、たくさんの人が夜の街へ繰り出している。教会で、アカペラコーラスの無料コンサートがあったので、入って聴く。天井の高い教会の空間に、残響豊かに美しく声が響く。
 劇場の前を通り、シアード美術館を覗く。美術館のギャラリーでは、若い現代作家の抽象画の展示のオープニングパーティーだった。美術館の中の洒落た庭園で、着飾って集まった人たちがワインを飲んでいる。カモンイス広場近くまで、カフェや本屋を覗いたりしながら歩く。
 街の中心、ロシオ広場へ出て、ケーキを食べ、コーヒーを飲んで、リスボンの週末を、妻と夜遅くまで眺める。
ポルトガル7.24ロシオ広場ロシオ広場の木

 -7月25日へ-

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7月23日(木)  ポルト-コインブラ

 今日は、コインブラへ行く日。朝、荷物をまとめて宿のカウンターに預けてから、ポルトを発つ前に街並みをスケッチしに行く。
 家並みを描くか、鉄の飾り窓のある壁を描くか迷って、壁の方を描く。どの壁にも味があり、歴史と人の生活、時の流れが染み込んだどっしりとした力があり、それぞれの壁が絵に描きたくなるような表情を見せている。壁だけスケッチして回っても飽きないだろう。
ポルトガル7.23ポルトの壁 ポルトの壁
 
 スケッチのあと、昨日見た布地屋で妻が濃い青の布を一枚購入。
 昼食に入った店は、自分で好きなものを取る形式で、タコ雑炊とラザーニャ、サラダ。ようやくおいしく、適量が食べられる店で、嬉しくなって思わずのんびり食事してしまい、出発が遅くなる。
 もともと何冊か持ってきたスケッチブックが重かった上に、ここポルトで大型本と布地まで増え、相当重い荷物になってしまったため、タクシーに乗ってサン・ベント駅まで行く。それでも駅で妻が、子供向けの楽しい挿絵の入ったポルトガル語の初歩の教科書(?)を二冊買おうとするが、思いとどまる(結局、リスボンの駅と空港で四冊買った)。
ポルトガル7.23タコ雑炊 タコ雑炊 ポルトガル7.23カンパニャン駅 ポルト・カンパニャン駅

 アズレージョの美しいサン・ベント駅から電車に乗り、カンパニャン駅で乗り換えてコインブラへ。車窓から見送るポルトの街は、やはり美しかった。
 やがて右手に鮮やかな青い海と、何もない真っ白の浜が広がってきた。バカンスの観光客が遊びに来ている。妻はこの車窓から見た海が気に入ったようで、しきりとこの海に遊びに来たい、と繰り返している。
 コインブラB駅で乗り換えて、コインブラの街へ到着。車窓からチラッと見えたコインブラも、ポルトのように、丘の街だ。
 駅を出ると強い日差しで、ポルトよりも騒々しい印象。駅からすぐの宿、ルーザ・アテナスの狭い階段を二階へ上ってチェックインする。カウンターのおじさんも、ポルトの宿よりも固く、几帳面な印象だ。最初に通された部屋は駅前の表通りに面してうるさそうだったので、裏の静かな部屋に替えてもらう。ベッドの四つある、広くて薄暗い部屋。
ポルトガル7.23コインブラ遠景 コインブラ遠景

 重い荷物をおろし、少し倒れた後、この街の主役であるコインブラ大学を見に行く。
コインブラ大学は、400年以上の歴史を持つヨーロッパ有数の古い大学であり、当時はヨーロッパでも重要な人文学研究の中心地だったと言う。数百年前の校舎が並ぶ旧大学と、現在大学キャンパスとして使われている新大学とに分かれている。大学は、この丘の街の頂上にあり、大学を取り巻くようにしてコインブラの街があるともいえる。
 地図を見ても、道がやたらと入り組んでいてよく分からない。妻の方向感覚を頼りに石の狭い階段をたくさん上り、狭い路地を抜け、曲がりくねってようやく丘の上の旧大学の裏に着いた。裏から見る旧大学は、まるで要塞のように立派に聳えている。丘の上から街を見渡すと、明るく澄んだ空を背景にして、遠くの屋根の上に、小さく軽やかな天使の飾りが見えた。

 立派な彫刻の施された旧大学の大きな石の門を入ると、いい形にねじれた木の生える中庭で、大学の校舎が大きくコの字形に中庭を取り囲んでいる。重厚な彫刻と建築が一体となった宮殿のような校舎だが、赤や黄色のカラフルな屋根瓦が、かわいらしい明るさを添えていた。コの字形の校舎の開いた一方からは、モンデーゴ川と、そのむこうの青い丘、その上には広い空がさえぎるものなく広がっていて、爽快な眺めだ。
 こんなところで学問をするのはどんな気分だろう。大学は、16世紀に当時の宮殿の中に作られたということだが、大学の立地をここに定めた人の気持ちも、なにかとても大きなものだったのだろうと思われた。
 大きな鉄の取手のついた分厚い木の扉を入り、18世紀に建てられた図書館を見学する。高い天井まで、東洋とも西洋ともつかない漆絵のような絵の描かれた本棚が立ちならび、そこに12万冊ともいわれる古い本がびっしりと並んでいる。天井や壁には金の装飾がまばゆく輝き、まるで宮殿のようだ。図書館の静寂を守るためか、それとも貴重な蔵書を守るためか、石の外壁は2メートル近い厚みがある。小さく質素な読書室もあり、机の横の窓からは青い丘が見渡せた。

 校舎の角にある時計搭の鐘が鳴る。午後七時すぎ。見学の時間は終了だが、夏の空はまだ抜けるように明るい。旧大学の門を出て、新大学の新しい校舎の立ち並ぶ広い構内を歩き、丘を下る。石畳の坂の多さは、歩くのにはかなりきつい。コインブラは学生の街とは言っても古めかしく、道の両側に立ち並ぶ建物は、時の流れが刻んだ様々な表情の上に、学生の書いた看板など現代の表情が新しく付け加えられている。今は夏休みで、街には学生の姿が少ない。ここコインブラに比べると、ポルトのほうが田舎っぽい古めかしさだった。

 夕食の店は比較的いい味だったが、やはり量が多く、食べきれなかった。ここでも、ヴィーニョ・ヴェルデはとても喉に気持ちよく、おいしい。六時過ぎだったが、この国では夕食にはまだ早いらしく、僕たち以外に客のいない店内には、おばあさんが小さな孫を連れて遊びに来ている。子供の名前を聞くと、「レオノーラ」と嬉しそうにおばあさんが答えた。
ポルトガル7.23食堂の裏口 食堂の裏口 ポルトガル7.23ファドバーの客 ファド・バーの客


 食後は、夜の街をしばらく散歩する。夜の暗さは街並から現代の表情を隠し、オレンジの街灯に中世そのままのような街並みが浮かび上がってくる。この石畳の路地に鎧を着た騎士が現れてたとしても、なんの違和感もない。
 ファド・バーへ行く。ファドは、ポルトガルの伝統的な大衆歌謡だ。女性が歌うことが多いようだが、コインブラは学生の街であり、学生の歌ったという男性のファドだ。コインブラ大学の黒いマントを着て、ギターを伴奏に歌っている。客はほぼ外国人観光客だった。
 疲れと眠気に襲われ、途中で抜けて宿に戻る。灯りを消した部屋の窓からは、家並みの向こうに、丘の上に建つ大学が見えた。
 大学の街だ。
 
 -7月24日-
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7月22日(水)  ポルト

 朝から小雨。宿のおじさんも、肩をすくめて「シューヴァ(雨だねえ)」と。中庭のバラが雨に濡れて、鮮やかだ。
 昨日の貴族の館へ行くと、驚くほど親切かつ詳細に作られたポルトの芸術系の学校のリストが用意されていた。このリストを見ると、ポルトには美術や音楽、舞台関係など、芸術系の学校がいくつかあることが分かった。ポルトガルの美術学校がどんな感じなのか見てみようと、妻に付き合ってもらって高等美術学校を訪ねてみる。
ポルトガル7.23やどの窓からポルト、宿の窓から

 高等美術学校は一昨日から夏休みで、がらんとして学生はあまりいない。いくつかの教室は、子供向けのワークショップの会場になっていたりする。
 途中で出会った、宮崎アニメに狂っている、と言う学生が、学内のアトリエを一部屋ずつ案内してくれる。アトリエの感じは、日本の美術大学とあまり変わらない。
 以前、サントリー美術館で見た古い屏風絵の展示で、屏風のことをポルトガルではBiombo(ビョンボ)と言ったと解説されていたので、その学生に「ビョンボ」と言ったらきちんと通じて、この街の美術館で見られる、素晴らしいよ、と教えてくれた。そして、ポルトの美術館やギャラリーについて、いろいろと情報をくれた。

 宿のそばの、昨日夕食を食べたカフェで昼食。ビールに、オムレツとラザーニャ。ようやく適量で、それなりにおいしく食べられる。
 食事の後、一昨日見た古書店で、大きく、美しい図版のたくさん入ったアズレージョの本を、少し迷ってから買う。店の主人によると、日本人の客はあなたが初めてだ、とか。ポルトガルでは、この夏休みシーズンにもかかわらず、日本人観光客を見かけることが少ない。ましてや古書店を見て回る日本人など、ほとんどいないのだろう。
 妻が見たがっていた、近くの布地の店を覗くと、カーテン生地など、とてもきれいで安い。

 先ほどの美術学校の学生の話では、ポルトの美術館は、古いものを展示しているソアーレス・ドス・レイス国立美術館と、現代美術館とが主要な二つらしい。そこで、ビョンボ(屏風)も見られるという、ソアーレス・ドス・レイス国立美術館の方を見に行く。古い大きな建物だ。
 この美術館では、ポルトガルの染付けの焼き物の展示室が一番良かった。ポルトガルの人物や、風景、植物などいろいろな絵柄があったが、日本か中国の染付けの柄を写したと思われる古い皿が、抜群に面白かった。おそらく、描き手もよく分からずに写したのだろう。ほとんど幾何学模様化している松の木や兎、鹿、太湖石など、もとの絵からはかけ離れてしまって、見たこともないような奇抜で斬新な絵柄になっている。この絵の写真を撮って帰りたかったが、残念ながら撮影禁止。
 この美術館の名前にもなっている19世紀の彫刻家、ソアーレス・ドス・レイスをはじめ、ポルトガルの近代彫刻や絵画の展示は、あまり面白いものとは思えなかった。
 
 ポルトガルの家具調度の展示室に続いて、日本の南蛮屏風、南蛮漆器が展示されている一部屋があり、南蛮屏風の横のプレートには、やはり「Biombo」と表示されていた。南蛮屏風の柄は、お決まりの南蛮船の入港だが、柔らかい毛筆で描かれた人物や海の波の、日本絵画独特の軽やかな線が印象に残った。
 日本的繊細さの対極のような印象のあった南蛮漆器も、ここポルトガルで見ると繊細で、螺鈿や蒔絵のつる草の柄が夢のように美しく見えた。この黒い漆の中に浮かび上がる乳白色の螺鈿の輝きも、大航海時代に南蛮船に積まれて、遠く日本から海を渡ってやってきたものだろうか。
 当時の日本人には、遥か海の果てに思えたであろう南蛮の国、ポルトガルに今自分がいて、南蛮漆器を見ているということが、まるで別世界のことのように現実感がなかった。

 その後、妻と別行動でタクシーに乗り、これも先ほどの学生が教えてくれた、現代作家の作品を扱っているギャラリーを見に行く。
 このタクシーの運転手は、なにかしきりに話しかけてくる。どうも「今日は寒い」と言っているらしいのだが、いまいちよく分からず、うまく反応できずにいると、そのうち運転手の声が大きくなり、ついにこいつには言葉が通じないと思ったのか、走行中にもかかわらず両手をハンドルから離し、後ろを振り向いて、激しく寒そうな身振りをし始めたので、びっくりした。頼むから早くハンドルを握ってくれ!
 ポルトガルでは言葉が通じなくても比較的みんなわかるまで親切に説明しようとしてくれるが、走行中にハンドルを離してまでコミニュケーションを優先するとは…。それとも単に不注意な人だったのだろうか?
 ギャラリーは展示替え中で、ブラジル人の作家の作品を展示しているところだった。

 7時ごろにカテドラルで妻と落ち合う。この大聖堂は、12世紀に建てられたという。その後、何度か改修の手が入っているということだったが、一昨日見た後世のいくつかの教会より、はるかにシンプルかつ堂々とした造りが素晴らしかった。
 夕暮れの曇り空の下で見る石造の大きな建築物は暗い印象でもあったが、内部は何本もの石の円柱が聳えて、高いアーチの天井を支え、ステンドグラスのバラ窓から光が射し込んでいた。
 中世建築のもつ素朴な威厳とスケールの大きさは、近世以降の建築とは、はっきりと一線を画しているように思われた。人の作ったものであっても、なぜか作り手の小賢しさをまったく感じさせない。
彫刻家のロダンは、このことを的確に語っている。

 「中世期では、芸術は群団から出て、個人から出なかった。匿名です。本寺(カテドラル)の建造者たちが自分の製作に名を書かなかったのは、ちょうど今日の労働者が自分の作った道路に名を書かないのと同じです。われわれは一個人に傾きます。芸術はそれで小さくなりました。」(「ロダンの言葉抄」岩波書店,高村光太郎訳より)

 ポルトのカテドラルも、このあと見たコインブラやリスボンのカテドラルも、その与える印象は、まさにこのロダンの言葉のとおりとしか言いようがない。
 西洋美術史に燦然と輝くルネサンスという時代は、大きな曲がり角だったのではないだろうか?綺羅星のように輩出したルネサンスの芸術家たちの名前は、同時に芸術が「一個人に傾き」だしたことの証明でもあるだろう。
 そして芸術は小さくなったのだろうか?
 匿名の集団の作り上げたカテドラルの力強さは後世を圧倒して感動的であり、自分の名前で作品を作る立場の僕は、とても複雑な気持ちにもさせられた。
 
 回廊のアズレージョも見たかったが、時間が遅く、閉まっていて見そびれる。

 夕食に入ったレストランは感じよく、味も比較的良かったが、妻の頼んだイワシの揚げ物は、半分の量(開いたイワシ四枚)にもかかわらず、その半分を食べるのがやっと。後ろの席の人は、通常の量(揚げたイワシ八枚くらい)を食べていたので、やはり日本人とは食べる量が違う、と思わざるを得ない。タコとトマトの雑炊が美味しかった。夕食後は宿のそばのカフェで休んでデザートを食べる。
 疲れる。

 -7月23日へ-

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7月21日(火)  ポルト 

 夜通し、明け方まで外の広場で学生が騒いでいてうるさかった。宿の朝食は、中庭に面した部屋のテラスだった。草木の茂る感じの良い中庭で、鮮やかなバラが咲いている。庭を取り囲む周りの家の裏側は、表の立派な作りとは違ってなんの飾り気もなく、生活感が感じられて面白い。中国に住んでいたことのある妻は、建物の感じが中国みたいだ、と言っている。このざっくりとした素っ気なさが大陸的な感じなのだろうか。隣の席では、ドイツ人の夫婦がなにか話している。パンをたくさん食べる。
ポルトガル7.22宿の庭宿の中庭

 宿の隣には、カルロス・アルベルト広場に面して18世紀の貴族の館があり、まずこの隣の館から見学する。内装に使われているアズレージョは、澄んだ青の線で幾何学模様が描かれた質の良いもので、つやと透明感が際立っていた。
 東京の白須さんのタイル画ワークショップで印象的だったのは、コバルトの顔料が、焼く前は地味な灰色だったことだ。白地に灰色で絵付けしていると墨絵でも描いているような感じがしたが、焼きあがると鮮やかな、少し紫がかった美しい青に変わっていた。この館のアズレージョを描いた職人も、鮮やかな仕上がりを想像しながら灰色の線を引いたのだろう。妻と、いっぱしのアズレージョ評論家を気取って見て歩く。
 一階で美術学生の作品展が開かれていたので、ポルトの美術大学についてこの館の案内の女性に尋ねてみると、とても親切な対応で、ポルトの芸術大学のリストを作っておくから、今日は無理だけど明日の朝取りに来なさい、と物静かに請合ってくれる。

ポルトガル7.21ボリャオン市場ボリャオン市場
 次に、妻が是非見たいと言っていたボリャオン市場へ行く。市場は、全体が吹き抜けになっている二階建ての大きな建物にたくさんの店が並び、肉や魚、野菜、パンや菓子、香辛料といった食料品から生活雑貨まで、この街で消費されるあらゆるものを売っている。市場を見ていると、ポルトの人たちの生活のエネルギーが力強く伝わってくるようで、とても楽しい。昨日食べ切れなかったあの豚やタコ、付け合せのほうれん草やジャガイモも、この市場から来たのだろうかと想像をめぐらせながら、二階から一階へと店をひとつずつ見て歩く。
 
 八百屋の店頭に溢れる野菜はどれも大きく色鮮やかで、見たことのない野菜もある。たくさんある八百屋の中から一軒を選び、特に印象的だったトマトをスケッチさせてもらう。赤、オレンジ、ピンク、黄、大きなのから小さいのまで、色も形も日本では見たことがないような、見事なトマトがカゴの中に並んでいる。スケッチしていると、立派な体格の八百屋のおばさんが、僕の描いているカゴに何故か次々とトマトを追加してくる。そのたびに構図が変わっていくのでちょっと困ったが、おばさんの表情を見ると、どうやらこれはサービスらしい。隙間なくトマトを並べて、見栄えよくしようとしてくれているようだ。とても親切なおばさんで、スケッチ用に椅子を出してくれ、昼近くになって他の店が片付け始めても、僕のスケッチが終わるまでは店を閉めずに、気長に待っていてくれた。描き終わった後、別の場所でスケッチしていた妻と一緒におばさんと写真を撮り、トマトを買う。
ポルトガル7.21市場のトマト市場のトマト

 昼食をどこにするか、かなり迷って歩き回った挙句、安めの大衆的な店を選んで入ってみる。僕はラム肉、妻は揚げたバカリャウ(干したタラ、ポルトガルではよく食べられている)を注文。ここでも昨晩のように、付けあわせと共に大量に出てきて、死にそうになった。またもや食べきれないほどの量だ。妻が「みんな結構食べ切ってるよ」と言うので周りを見回してみると、確かに女性でも結構な量をしっかり食べ切っている。ポルトガル人が日本に来たら、どこで食べても間違いなく物足りないだろう。ラム肉とバカリャウでそうとう満腹になったにもかかわらず、食後に無性に甘いものが食べたくなって、ケーキを注文した。ケーキは美味しかったが、かなり甘く、そして皿を横断するように大きく、この無謀なデザートが最後の一撃となって僕の胃は完全にノックアウトされた。
 ただ、ヴィーニョ・ヴェルデはこちらの乾燥した気候にぴったり合った微発泡の軽いワインで、救いのようにとてもおいしかった。

 食後は、川をはさんだ対岸の地域、ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアへ電車で渡る。川の対岸に来ると、ドウロ川沿いに古い建物の建ち並ぶポルトの街の全体を眺め渡すことが出来、天気もよく、とても気持ちがいい。高台に立って川沿いに左手を見ていると、大西洋かと思われる水平線が、遠い空に霞むように、かすかに見える。
 石畳の上で生活しているせいか、毛並みの荒いポルトガルの猫を、妻が写真に撮っている。
ポルトガル7.21猫ポルトの猫  ポルトガル7.21食べる猫えさ食べる猫


 ドウロ川のこちら側、ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアには、この地の名産、ポートワインの蔵がいくつもある。その中の一つで、17世紀からの歴史のある、サンデマンのワイン蔵の英語見学ツアーに参加してみる。
 蔵というよりは、洞窟と言った方がいい。網の目のように広がった薄暗い地下空間には、巨大な樽がはるか遠くまで、見渡す限り並んでいる。人が何十人でも入りそうな大きさの樽もあり、100年前のラベルが貼られた化石のような瓶もある。なぜかこの地下に、魚の泳ぐ小さな池まであった。壁の隙間には、どこに続くのかわからない、明らかに樽は通ることの出来ないような、狭く暗い秘密の通路のような道もある。一人で迷う事を考えたら背筋の寒くなるような、ミステリー映画の舞台にぴったりといった感じのワイン蔵だ。ツアーに遅れないよう気をつける。
 壁には、過去のドウロ川の大洪水のときの水位を記録した目盛と年が書かれていた。洪水でも水は樽の中には染み込まず、樽が回転するとワインが適度に攪拌されて良い、ということだったが、果たして本当なのか…?
 サンデマンのマークと同じ、黒いマントに帽子の女性が案内してくれ、最後にあなたたちの目当てはこれでしょう、とばかりに赤と白のポートワインの試飲が待っていた。どこの国でも、蔵元見学の締めは試飲と決まっているようだ。まず、並んだグラスの中の赤と黄色の深い美しさに驚く。まるでガーネットと琥珀を液体にしたのかと思うような色合い。簡単にスケッチしている間に、妻が一足先に飲んで、味も香りもすごいよ、とスケッチしている場合じゃないみたいに言い始めたが、本当にこれはすごかった。香りも味も、まさにドライフルーツのようで濃厚。ポートワインに関しては何の知識もなく、特別期待して来たわけでもなかっただけに、衝撃的なおいしさだった。テーブルの向かいの若いイギリス人も、余ったグラスまで集めてきて大喜びで飲んでいる。しかも安い。
ポルトガル7.21ポートワインポートワイン

 昼食の量にアルコールが追い討ちをかけ、ぐったりとなり、バスで橋を渡って戻る。
宿へ戻る途中、昨日から入ってみたいと思っていた書店、レロ&イルマンに立寄ってみる。全体にゴシックとアールヌーボー調の合わさったような彫刻が施された、木造の凝った内装の書店。時代錯誤と言ってもいいような店内だ。並んでいる本が、内装と一体となって美しく見える。店の真ん中が吹き抜けになっていて、やはり隙間なく彫刻の施された木の螺旋階段が八の字にカーブして二階へ続き、ステンドグラスの天井からはガラスのランプが下がっている。こんな風に時を忘れるような本屋が家の近所にあったら、毎日でも通ってしまうだろう。

 日が暮れても、昼の満腹感と一日歩いた疲れで全く食欲がわかない。それでもなにか食べなければと、胃に優しそうなものを探して、宿のそばのカフェで野菜のサンドイッチと紅茶の夕食にする。アールグレーが体にしみるようで美味しく、ほっとする。この国の食堂の選び方、注文の分量が、三日目にしてまだつかめない。
 店の選択が間違っているのか、注文の仕方を間違っているのか、それとも自分たちが慣れるしかないのか…?
帰国してから知ったことだが、天正少年使節団も食事では苦労したらしい。
  
-7月22日へ-
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7月20日(月) リスボン-ポルト

 朝6時半に起床。長時間の飛行機のせいか体中凝っているので、まずシャワーを浴びる。パンとコーヒーの朝食。
昨晩、そのずっしりとした暗がりの中の存在感に、ヨーロッパへ来た、という実感を与えてくれた向かいの家の壁は、改めて朝日の下で見ると、ピンクや黄に塗られていたり、明るい色のアズレージョで飾られていたり、色とりどりだった。分厚い石と土のヨーロッパの壁は、日本の壁にはあまり見られない、時間をかけてじっくり深く刻み込まれたような、様々な表情を見せている。そうした古い壁の窓やベランダから色鮮やかな洗濯物がぶら下がっているのが、とても新鮮に映る。向かいのピンクの壁をスケッチする。

 宿をチェックアウトし、今晩の宿泊地ポルトへ行くため、街の南東にあるサンタ・アポローニア駅へ向かう。リスボンの街はあまり広くはないので、街を見る目的も兼ねて歩いてみた。外の空気は、この時期の東京とは違ってともかく涼しく、湿気がなく、肌に心地よい。まだ朝で、あまり店も開いていない。繁華街、バイシャの通りを歩いていくと、通りの向こうに立派な彫刻の施された大きな石の門がそびえている。この門を抜けると、黄色い壁の印象的な官庁の庁舎に囲まれた工事中のコメルシオ広場で、中央にドン・ジョセ1世の騎馬像が立ち、そして騎馬像の見つめる先には、リスボンから大西洋へと流れ出るテージョ川が、目の前に現れる。リスボンで生まれた音楽家のグループ、マドレデウスにもテージョ川の歌があったが、海のような印象でゆったりと流れるこの大きな川は、たしかにリスボンの街の主役のようにも見える。そして、大通り、門、広場、騎馬像という道具立てによって、街からテージョ川へと、印象的に対面するように構成されている。
 街を歩いていると、建物の造りや石畳の道に、学生の頃に旅したイタリアの街を思い出した。明るい朝日の中に、鮮やかな夾竹桃や、アズレージョで飾られた家が見える。

ポルトガル7.20車窓から山 車窓から ポルトガル7.20車窓から木車窓から

 11時30分 サンタ・アポローニア駅でインテルシダーデ(特急)の切符を買い、ポルトガル第二の街、ポルトへ向かう。車窓から見えるのは、赤茶や黄土の土と、淡い色の細長い木の葉。乾燥した土地。
  やがてドウロ川の向こうに、世界遺産ポルトの街が見えた。車窓から見たポルトの街は、エッフェル塔で有名なエッフェルと、その弟子が設計した19世紀の鉄橋を含む、三本の橋のかかるドウロ川沿いの丘に、赤い屋根が寄り合うように並んでいる。川と丘と街が一体となってまとまったようなポルトの景観の美しさに、妻は「わあ、きれい!」と言って窓際に来て眺めている。街は一旦視界から消え、また電車がサン・ジョアン橋を渡る時に、もう一度全景が見えた。立ち上がって窓に寄って、駅に着くまで眺めた。
  ポルトガル7.20電車のお姉さんポルトへの乗客 ポルトガル7.20電車のおばさんポルトへの電車で

14時50分、ポルト、カンパニャン駅に到着。電車を乗り換え、一つ先の街の中心部、サン・ベント駅で降りる。大きな時計の掛かる真昼のサン・ベント駅のホームは、各国からの観光客であふれていた。
 この駅でまず目を奪われたのは、構内のアズレージョの壁画の美しさだ。天井近くまで、駅の壁一面を覆うコバルトの鮮やかな明るい青が印象的だ。絵それ自体は比較的新しい歴史画で、あまり面白いものではなかった。しかし、壁面全体の青と白の色合いが、駅のガランとした構内を殺風景にさせず、明るさと開放感を与えている。思わず足を止めて壁を見上げ、壁に近づき、アズレージョの色彩が作り出すこの空間の柔らかな美しさに、知らない街へ来た実感とともに眺め入った。

 一歩駅を出ると、駅前にはアズレージョの青い外壁の教会が建ち、リスボンよりさらに古めかしい街並みだ。駅の売店でポルトの地図を買い、宿までしばらく歩く。
 ポルトはこの国第二の街、とは言っても、日本で大阪が第二の街、というような印象とはずいぶん違う。中には数百年という古い建物が建ち並び、小ぢんまりとした、どことなくひなびた印象すらある街である。大通りはとてもにぎやかで、立派な市庁舎、またまたアズレージョの青い壁画が印象的なグレリゴス教会、そして大学の脇を通り、15時45分、ポルトの宿、レジデンシア・サン・マリノにチェックイン。
 重い荷物から開放され、宿の横の通りをぶらぶらと北へ歩き、カフェに入ってサンドイッチとエッグタルト、エスプレッソの遅い昼食をとる。カフェのお兄さんが、タルトにシナモンパウダーをかけるとうまいよ、と身振りで食べ方を教えてくれる。エスプレッソの美味しい店だった。
 古本屋をのぞいたり、石畳の小道の古い街並みを面白く眺めながら、今度はドウロ川の流れる南へ歩いて下る。ドウロ川の向こうには、晴れた空の下、対岸の街並みが見渡せて眺めが素晴らしい。

 ボルサ宮と、サン・フランシスコ教会を見る。サン・フランシスコ教会は、内部が手の込んだ金泥細工の装飾で覆い尽されている。たしかに立派かもしれないが、過剰にゴテゴテしていてあまり好きになれず、もしこれが神の国のイメージなら、僕だったらちょっと行きたくない、と思った。日本ではあまり見慣れない、血を流すキリストやサン・フランチェスコの像も、妙にリアルな生々しさがあって、クリスチャンの方には申し訳ないが、夜夢に出て来てうなされてしまった。
 ポルトガルの夏は遅くまで昼のように明るかったので気付かなかったが、見終わった頃には既に夜の8時になっていて、いったん宿へ戻る。
 宿へ戻る途中、猛スピードでカーブを曲がってきた車にあやうく轢かれそうになった。妻に手を引っ張られて、間一髪で助かった。僕の不注意もあったかもしれないが、それにしてもポルトガル人の車の運転は本当に乱暴だ。石畳の狭く曲がりくねった路地の多いこの街でも、相当なスピードを出す上に、カーブでもその速度を維持している。そして、歩行者用信号は、道の広さに関わらず、同じ時間間隔で青から赤に変わる。広い道では、ほとんどの人が青の間に渡りきることができない。ポルトガルの街で、松葉杖や足の不自由な人をたくさん見かけるのは、間違いなく交通事故のせいだろう。
 
 さてポルトガル最初の夕食は、「地球の歩き方」に出ていた、宿から遠くない「串焼きの店」に決める。夜道で地図を見ていると、おじいさんが通りの向こうから歩いてきた(この人も足が悪かった)。おじいさんは言葉がほとんど通じないにもかかわらず、こちらが理解するまで丁寧に道を教えようとしてくれた(ポルトガルでは、こういうことがよくあった)。
 店に入って、「串焼き」という言葉から短絡的に日本の竹串の串焼きをイメージしていたのが、大間違いだったことが判明した。店内のガラスケースを見ると、長い鉄の串が並び、肉や魚介類の巨大な塊が、いくつもいくつも連なって刺さっている。ちょっとずついろいろ注文して食べてみよう、という赤提灯的な楽しい期待が一気に崩れ、思わず妻と顔を見合わせた。とりあえず控えめに、豚肉とタコの串をそれぞれ一本ずつ、それからサラダとヴィーニョ・ヴェルデ(グリーンワイン、微発泡のワイン)を注文する。しかし、出てきた串焼きには、追い討ちをかけるように山のようなポテト、ライス、炒めたホウレンソウの付け合せが盛り上がるほどに添えられていて、その半端じゃない量に驚愕し、再度妻と顔を見合わせた。串焼きってこういうことか…。ポルトガルでは一人一串で立派なディナーか…。外国というのは、予想外のところで分からないことに出くわすものだ。さすがにこんなことは、「地球の歩き方」も教えてはくれない。 
 控えめな注文のつもりだったが、死にそうに食べても食べきれない。僕も妻も腹ペコだったにもかかわらず、かなりの量を食べ残すことになり、憂鬱な気分になって店を出る。帰国の頃になって分かったことだが、こちらの人は、日本人ほど食べ物を残すことには抵抗感がないらしい。だれかそれを、ポルトガルに行く前に教えてほしかった。
ポルトガル7.20オリーブ手をつけなかったオリーブ

 夜道を歩いて帰る途中、カフェでエスプレッソを飲み、少し胃が落ち着いてから宿に戻ることにする。カフェの前の広場では、ポルト大学の学生がたくさん集まって陽気に騒いでいる。多分、ポルトガルでは今日が学年末だ。卒業する学生たちもいるのだろう。彼らは、昼に見た、あの古色蒼然とした石の校舎で学んだのだろうか。街がいくら古くても学生たちは普通に若者だが、この古めかしい街での学生生活は一体どんなものだろう、と思った。世界遺産の街ポルトでの学生生活を想像しながら、夜のカフェの学生たちを眺めた。
ポルトガル7.20学生たち学生たち

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7月19日(日)  東京-ミュンヘン-リスボン

 朝5時半に起きる。今朝の東京は曇り。眠い。7時半に家を出て最寄駅へ向かう。荷物が重い。妻も重そうだ。荷物の半分を占めるスケッチ道具と、そして数冊のスケッチブックのせい。

 12時半にルフトハンザ航空の飛行機で成田を離陸。初めてのルフトハンザ。楽しみといえば、なんといってもドイツビール。妻がわざわざこのために周到に準備してきたつまみを出して、ビールを飲み始める。

ポルトガル7.19雲 飛行機から

 17時08分(以降現地時間)ミュンヘン空港着。飛行機の窓から見たミュンヘン郊外は、畑の中に集落、教会が散らばり、子供の頃に読んだヨーロッパの絵本の挿絵のよう。EU圏への入国審査では、ズボンのベルトまで外させられて、審査が厳しくなっているのに驚く。せっかくドイツだからということで、空港でとりあえずビールとソーセージ、パンを食べる。

 19時40分 ルフトハンザの小型の飛行機でミュンヘン空港を離陸。飛行機がポルトガル上空へさしかかると、長い海岸線が見え、海へ注ぐ川もいくつか見えてくる。陸も海も美しく、全てを柔らかい夕暮れの色に染めて、大西洋にゆっくりと日が沈んでゆく。これがイベリア半島か、と思う。上空からは、どこまでがスペインで、どこからがポルトガルか分からない。テージョ川という大河が、スペインからポルトガルへ半島を横断して流れ、首都リスボンの先で大西洋に注いでいるはずである。暖色の大地の上にそのテージョ川を探しているうち、真っ暗な夜になった。
 しばらくすると、突然リスボンの街の灯が、宝石箱をひっくり返したように、窓いっぱいに広がってきた。夢のように美しい。東京も、他の街も、上空から見る夜景はどこも美しいと思うが、リスボンの夜景は、格別に美しかった。東京の夜景がダイヤモンドなら、上空から見るリスボンは真珠のような輝きで、暖かい色合いの光に包まれている。
 窓から見ていると、小ぢんまりしたリスボンの街全体が、黄やオレンジ色に柔らかく輝きながら夜の闇の中に浮かび上がっており、その光の中へ飛行機が高度を下げていく。隣の席の妻も「きれいだね」と言って、飛行機が滑走路に着くまで、窓の外を見つめていた。短い時間だったが、この飛行機の窓から見た夜景こそが僕にとって、リスボンの忘れられない、鮮やかな第一印象となった。そしてこの瞬間がポルトガルとの初めての出会いでもあり、この旅行を通して感じたポルトガルという国の印象とこの夜景とは、どこか通じるものがあった。

 21時35分 リスボン空港へ着陸と同時に飛行機の中は拍手とブラボーの声が飛び交い(ラテンの国はみなこうなのか?)、なにかとても幸せな気分で飛行機を降りた。
空港のツーリスト・インフォメーションでリスボンの地図を買い、タクシーに乗って夜の街を今夜の宿、レジデンシャル・アレグリアへ向かう。

 23時ごろ宿に到着。レジデンシャル・アレグリアはリスボンの街の中心部にあり、小ぢんまりして落ち着いた良い宿だった。部屋の窓を開けて見下ろすと、石畳の路地を隔てて向かいの家が見える。暖かみのある古めかしさ。人の声が聞こえる。ほっとする。疲れ、眠い。

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アズレージョ ギャラリー
ポルトガルのアズレージョ(タイル)
妻の写真でご覧下さい。

アズレージョ.ポルト駅 ポルト サン・ベント駅

アズレージョ10ポルトカテドラル ポルト カテドラル 回廊

アズレージョ9ポルトカテドラル ポルト カテドラル 回廊

アズレージョ5サンタクルス コインブラ サンタ・クルス修道院 参事会室

アズレージョ1サンタクルス コインブラ サンタ・クルス修道院 参事会室

アズレージョ3サンタクルス コインブラ サンタ・クルス修道院
 
アズレージョ2サンタクルス コインブラ サンタ・クルス修道院

アズレージョ.サンタクルス コインブラ サンタ・クルス修道院

アズレージョ4サンタクルス コインブラ サンタ・クルス修道院 階段

アズレージョ, コインブラ サンタクルス修道院 階段

アズレージョ8コインブラカテドラル コインブラ 旧カテドラル

アズレージョ7コインブラカテドラル コインブラ 旧カテドラル

P1010857.jpg コインブラ 旧カテドラル

P1020056.jpg パルメラ駅 ホーム

P1020055.jpg パルメラ駅 ホーム

おまけ (アズレージョではありませんが)

レロ&イルマオン1 ポルトの書店、レロ&イルマン 一階

レロ&イルマオン2 ポルトの書店 レロ&イルマン 二階

P1020072.jpg リスボンの夾竹桃

P1020074.jpg リスボンの夾竹桃

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