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トップ2007年02月

作品の感想


                          



―1、前期―



前期は山水画がメインで、故宮の誇る、范、郭熙、李唐の山水画三点が並んで展示されていた。


 


 范「渓山行旅図」は、一見強いインパクトがあるわけではなく、肩透かしを食ったような印象だったが、じっと見ていると、内に込めた力をじわじわと押し出してくるような絵で、離れ難かった。中央の山塊は、形の中に量と緊張感があり、圧巻だった。見ている程に大きく迫ってくる絵で、画面の外が想像された。広大な風景を、このような縦長の画面に納めたのもすごいことだと思った。茂みの中に、近年になって発見された小さな范という落款を見つけることができ、嬉しかった。


李唐「萬岳松風図」も、范と双璧の素晴らしさだった。こちらは范よりズバッと明快に迫ってくる力強さがあり、画面全体に漲る力の張りを感じた。かなり痛んでいるため、よく見ないと見えない部分が多かったが、上半分、雲の中から頭を出している主峰とそれを囲む鋭い峰々の作る空間の大きさ、ダイナミックさは圧巻だった。同じ李唐の小品「座石観雲」は、目の前の岩の間に突然のように大きな雲が現れ、それをこちらから二人の人物が観ている、という面白い情景を緻密に描いていた。


 郭熙「早春図」は、これを山水画の最高傑作に押す人も多いが、上記二点に比べると、自然を掴むストレートな力という点で物足りない。ただ、空間構成という点では非常に面白く、異様な空間が立ち上がってくる凄みがあった。


 董元「渓岸図」は、上記四点と並んで展示されていたが、岩などぬるっとした感じで、以前上海で見た同じ董元の「瀟湘図」の素朴でしっかりとした筆とは違い、真筆ではないとの学説に賛成である。ただ、細部まで非常によく描けていて、とても面白く、作者の非凡な力量を感じさせる絵だった。


 徽宗は北宋最後の皇帝だが、「文会図」「蝋梅山禽」は共に素晴らしい絵だった。単なる余技の域をはるかに超えているだけでなく、同時代の最高の画家達に全く遜色がない。「文会図」は、木の下に机を置いて食事している絵だが、人物の椅子や木の葉、柳の下がった葉、画面隅の竹、石に至るまで、神経の通った緻密、繊細な描き方で、特に柳の葉は一枚ずつ線でくくっていながら、全体として風に柔らかく揺れる雰囲気が素晴らしく、いつまでも見飽きなかった。三つ置かれた机の配置も、ゆったりとした空間を感じさせ、一つづつの物は小さく緻密ながら、画面全体はゆったりとしていた。「蝋梅山禽」も、徽宗の描く対象に対する優しく繊細な思い入れを感じさせ、日本にある「桃鳩図」を思い起こさせた。寒い空気の中、蝋梅の枝で身を寄せ合う二羽の鳥が印象的だった。二点とも色彩が美しかったであろうが、痛みが激しく残念だった。


 宋人「小寒林図」は、小さい画面の中にうねって枝を伸ばす枯木が描かれ、よく見ていると、木の根元を水が流れ、丘が遥か奥まで続き、道行く人なども描かれていた。とても小さい中に、非常に充実した奥行きの深い空間があった。


 趙幹「江行初雪図」は画巻で、水辺で生活する人たちが実感を持って描かれ、流れる水に沿って、人物、風景など一つづつ見ていく楽しさがあった。くすんでいるが、色も良い。北宋が金に破れ、金の王朝にこの画巻が収められたとき、金の王によって画面に押された印なども見られ、興味深かった。


 ほかに、小画面に大きな量感を感じさせる黒白二頭の馬が描かれた韓幹「牧馬図」、墨をかすれ気味にした線が気持ちよい喬仲常「後赤壁賦」と李公麟「山荘図」、墨の緻密な濃淡で描かれた山水が美しい巨然「蕭翼賺蘭亭図」、小画面に雲から頭を出す峰々を緻密に描いた燕文貴「奇峰萬木」などが良かった。


 


―2、後期― 



後期は、花鳥画がメインだった。


 


 崔白「双喜図」が群を抜いて素晴らしかった。寒い空気、風、その中を貫く二羽の野生の鳥の鳴き声と、その声に振り向く兎という一瞬の情景。自然の中に身をおいた実感と緊張感が、画面全体に張り詰めていた。細かい毛描きをしながら、たっぷりとした量感と骨格を感じさせる兎、鳴き声まで聞こえそうな鳥が良かった。かなり痛んでいるが、色彩も美しい。


 宋人「富貴花狸」は長年見たかった絵。細く柔らかい線で描かれた、ゆったりした美しい姿の白い牡丹と、その下にうずくまる猫。花の形は、今まで見た牡丹の絵で一番きれいだ。花にわずかに入った臙脂や、葉に残る緑青がとても美しい。かなり痛んでいるが、元はどんなに美しかったかと思う。何枚か簡単な模写を描いた。


 文同「墨竹図」は、反り返る枝が上から大きく入って下を空けた構図、勢いのある強い筆さばきで、竹の手を切りそうな葉の感触や、ちくちく刺さりそうな枝の感触。これ以上の竹の絵はないのでは、と思わせる迫力がある。


 五代人「秋林群鹿」「丹楓?鹿図」も実物を見てみたかった絵。紅葉の山の中で、物音に一斉に振り向く野生の鹿の群れの緊張感。藍、朱、緑青、胡粉など、豊富な色彩が日本画のようだが、墨をベースにした色彩の扱いは、やはり日本画の印象とどこか違う。


 無款「梅竹聚禽図」は、大きくうねる木に鳥がたくさんとまっている絵で、崔白と並ぶと型にはまって見えて分が悪かったが、ダイナミックな構成と緊張感のある絵で見ごたえがあった。


 ほかに、細密な猫のかわいい易元吉「猴猫図」、山水画では、巨然の洗練された奥深さのある「層巌叢樹図」、小さく緻密な宋人「江帆山市図」の、山麓で生活する人々の実感ある描写が良かった。許道寧「漁父図」も、前期に見たときにはあまりピンとこなかったが、後期に改めて見ると、鋭い山並みを取り巻く広い空間が素晴らしかった。また、北方遊牧民の狩の様子を描いた小品二点が、珍しいものでとてもよかった。


 蘇軾、米元章、黄庭堅らの個性溢れる書、汝窯の青磁の、泉の水のように澄んだ色、力強い宋版図書など、絵以外の展示も充実したものだった。         20072


作品の精密な画像はこちらから。

トップ2007年02月

台北故宮博物院「大観」北宋書画特展を見てきました!!


 


 今回の「大観」展は、故宮博物院80周年記念の特別展で、北宋時代の文化に焦点を当て、書画、汝窯の青磁、宋版図書の三つの特別展が同時開催された。詳しい展示案内は、こちら。http://www.tabitabi-taipei.com/youyou/200605/daikan/index.html


出品作品の精密な画像はこちら。http://tech2.npm.gov.tw/sung/






              ―1、北宋の絵画とは― 




 北宋(9601127年)という時代は、中国絵画史上の黄金期、西洋より500年早い中国のルネサンスなどと言われ、中国絵画の主要な流れとなる水墨画が確立された時代でもある。20世紀に入って、北京の紫禁城にあった至宝の数々が、国民党政権とともに大陸を離れて台湾へ運ばれた時、北宋絵画の最も重要な作品の大半も台湾へ移り、台北の故宮博物院に収まった。政治的な理由により、これらの作品が日本で展示されることはない(「故宮博物院物語」古屋奎二著、「遺老が語る故宮博物院」荘厳著、に詳しい、共に二玄社)。


 日本にある「宋画」の多くは、時代の下った南宋(11271279年)のものであり、北宋のものはあまり入ってきていない。そのため、日本で北宋絵画の代表作を目にする機会は、殆どといっていいほどない。


 一昨年、「大観」展の書画出品作品のリストが故宮のサイトに発表された時には、そのあまりの豪華さに驚き、かねて見たいと思っていた、貴重な絵の数々が一堂に会することに、半ば信じられないような気持ちで、まさに万障繰り合わせて、前後期両方とも見に行かねば、と思った。


 


―2、北宋絵画へのきっかけ― 




 僕が北宋の絵画に興味を持つそもそものきっかけを作ったのは、司馬遼太郎氏の小説「空海の風景」だった。もう十年以上前、美大に落ちて浪人していた頃、この小説を読んでいて、華やかな唐の文化の描写に魅かれ、それまで殆どといっていいほど知らなかった中国の絵画に興味を持ち、中国にはどんな絵があるのだろう、と朝日百科「世界の美術」から中国関係の数冊を抜き出してぱらぱらページをめくっていた。その時、北宋の画家、范の「渓山行旅図」が強烈に印象に残ったのだ。これは中国山水画の一つの典型とされるような絵だと後で知ったが、その当時の僕にとっては、全く見たことのないタイプの絵だった。霧の中から聳え立つ、巨大な険しい山塊のスケール感が、絹の上に墨で緻密に、とてもリアルに描き出されている。山の中腹からはまっすぐ霧の中へ滝が落ち、画面の下の方にはびっしり木々の茂った丘と、木立の中の楼閣、ロバを追って道行く人物までが細かく描かれている。縦の長さが2メートルもある大きな絵だと知って、さらに驚いた。北宋時代の他の絵の図版も一緒に眺めながら、こんな絵があったのか、と思った。


 


3、僕にとっての水墨山水



 僕にとって日本の水墨画、特に山水画は、その当時最も面白みの理解できない、平たく言ってつまらない絵だった。解説に書いてある禅の思想とか、省略の美学とかいった抽象的な言葉を読んでいると、これはとりあえず僕とは縁のない難解な絵だと思った。しかし、北宋の水墨山水は、リアルに実景に、自然の壮大な風景に迫っていて、見ていて理屈なく面白かった。水墨山水というのも、もともとは観念以前に、ストレートに自然に向き合って生まれてきた絵画だったのか、と納得できた。それ以来、水墨の山水画は、僕にとって最も面白い絵画のジャンルになった。日本の水墨画も、この流れの後に描かれたものとして見ていると、楽しむ糸口がつかめるように思った。


 しかし、北宋絵画の図版を探していて、印象派やルネサンスを扱った本はこんなにもたくさん日本で出版されているのに、隣の国である中国や朝鮮半島の美術を扱った手頃な本は、なぜこんなにも少ないのかと、大型書店の美術書のコーナーで不思議に思った。高校の世界史の教科書にも、西洋の画家の名前は随分マニアックなところまで出てくるのに、中国の画家の名前は最も重要な人たちでさえ殆ど出てこなかった(最近は改善されたのだろうか?)。その後、中国絵画を紹介する手に入れやすい本も、少しづつ出るようになってきた。その中では、「中国絵画のみかた」(二玄社)と、「故宮博物院」(NHK出版)が良かった。


 


 山水画の面白さは、部分は部分で見られ、全体は全体として見られる、というところだ。見る人は、絵に近づき、絵の中に入り込んで、風景の中を、つまり絵の部分部分を辿って行く楽しみがある。少し離れてみると、今度は風景の全体像が見えてくる。こういう楽しみは、山水画ならではだ。もっとも、山水画と並ぶ重要なジャンルである花鳥画にしても、やはり部分、花一輪、木の一枝がクローズアップされながら、全体は全体としてもう一つのまとまりを持っており、部分の集積のようでいて全体としてもまとまっているという面白さは似ている。そして、墨という画材。北宋の絵画の、あの緻密な空間の広がりと奥行きは、墨の微妙なトーンの変化と透明感があって、始めて可能になったものだと思う。


 


―4、台北で― 




 さて今回台北へ行き、故宮で念願のたくさんの北宋の絵を目の前に見ることができた。贅沢をした思いだ。展示室に並べて掛けられた絵の前で、北宋絵画の緻密、繊細な美しさと、奥行きの深さ、スケールを、空気のように肌で感じた。そして、これだけの傑作が並んだ中にも、その中で更に優れた絵、心に響く絵があり、作者個々の個性、対象の捉え方の違いがはっきりとあった。范、李唐、徽宗など、思い出すだけでも胸が一杯になる、深い(強いというより深い)印象があり、千年もの年月を生き抜いた数々の傑作を前に、時を越えて心が伝わる絵の強さに魅かれた。


 中国画(あるいは東洋画)には、西洋画のような強いインパクトで押し出してくる要素は弱いが、こちらが中に入っていくと、絵の中で自由に気持ちよく楽しみ、自然を感じることができる。そうした楽しみ方が、東洋画、あるいは東洋人の持っている本質なのではないかと感じた。


 作者の気持ち、絵に求めたもの、そしていかに自然を捉えたか、という点は、千年を経て画面がいかに傷んでいようと、絵を通して見る者にはっきりと伝わり、それこそが絵を支える力であり、そこに絵の最も重要な部分もあるように思った。


 台北まで二度も行って見た甲斐があった。               20072


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