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Ⅶ模写を終えて

 2007年の春から冬にかけて、以上のような方法で鳥獣戯画の模写を行いました。
 今回模写できたのは、時間の関係もあり、甲巻の後半半分くらいと、乙巻のなかから、気に入った部分、牛と犬です。
 描いた模写をサントリー美術館で実物と比べてみたのですが、やはり、どうしても実物よりも平板な硬い絵になってしまっていました。
 また、実物は墨色が柔らかく、紙を空間としてそこに描かれたものが自然に溶け込むように見えるのですが、私の描いた模写は墨の色がきつく、画面から絵が浮いて見えてしまっていました。やはりまだなぞる意識になってしまい、画面の中に絵画空間を作り出していく意識が弱かったようです。
 
 中国には、模写の中にも「意臨」「背臨」という言葉があるようです。
 「意臨」とは、原画の意を汲むことに重点を置き、比較的自由に描く模写、「背臨」とは、原画から離れ、原画を全く見ず描く模写です。
 いつかもう一度鳥獣戯画の模写に挑戦する機会があれば、もっと原画から自由になりながら鳥獣戯画のイメージを描き出すような模写をしてみたいと思っています。
 
 この模写の目的の一つであった線描を学ぶ、という点については、すでに書いたようにさまざまなことが勉強できました。
 何気なく気軽に描かれたようにも見えるこの絵巻ですが、実際には、きわめて的確に動物たちの立体感、骨格、関節などが少ない線だけで表現されていて、改めて作者の観察眼の鋭さと、墨の線に置き換えていく腕前の確かさに驚かされました。この絵は余技で描かれたようなものではなく、墨と筆を知り尽くした人達によって、周到に描かれたものでしょう。
 
 「用筆・用墨」という言葉が象徴するように、墨と筆を学ぶこと、使いこなすこと、そこにこそ、日本(東洋)絵画の基礎があり、個性があったと言っても過言ではありません。私はこの模写を通して、墨と筆のもつ魅力と可能性に改めて強く惹き付けられました。そして墨と筆こそは、日本絵画(あるいは中国を源とする東洋絵画)が長い歴史の中で最も大切にしてきた要素であったのだ、と強く実感しました。
 たとえ極彩色の絵であっても、その根本には墨によって鍛えられた感覚があったように思われます。その感覚とは、濃淡、渇潤であり、余白であり、点と線であり、そうしたこと全てが墨と筆の基礎の中に端的な形で詰まっているのです。
 白描画は、まさに墨と筆の基本であると同時に極地でもあり、白描を学ぶ、ということが現代日本画の中から抜け落ちてしまっていることに、改めて残念な思いがしました。それは、日本画学習の一番の核心部分を捨て去ってしまう、ということに他ならないからです。
 東洋絵画の魅力と個性は、白描を学んだ画家たちによってこそ生み出され、白描こそが千年以上にわたって東洋絵画の多様な表現を生み出す技術的な基礎となってきたのです。

 現在、「日本画を学ぶ」というと、美術大学でも日本画講座でも「岩絵具の扱いを学ぶ」ということが主になっているように思われますが、そうした絵の具の扱いよりも、白描を学ぶ事こそが日本画の本質に一番近いように思われます。

 また、模写の方法に関して言えば、作品に対しての解釈、考察といったことは、やはり臨写でこそ鍛えられると感じました。臨写では、絵の隅々に至るまできちんとした観察と自分なりの解釈がなければ筆を執ることができません。
 上げ写しでも勿論同じことが要求されますが、そこまでしっかり把握しきらずとも、とりあえずなぞっていってそれらしく描いてしまうことができるように思います。それゆえ、美術大学の模写の授業でまずはじめに上げ写しというのは、模写の勘所を誤りやすく、適当とは思えません。
 上げ写しを学ぶにしても、まず運筆を学び、臨写で絵の見方や線の捉え方をしっかりと身につけてからにすべきでしょう
 土佐光起の「本朝画法大伝」から、模写の最初から最後まで大きな示唆を与えてくれた言葉を、金開堂の現代語訳で紹介します。

 「ただ見て写すのはよくない。このようにすると筆の勢いが調わず、ただ、形を似せるばかりで用に立たない。写すのに心配りが必要である。
 画本に似ないで宜いものがあり、画本に似ないで悪いものがある。似ていて宜いものがあり、似ていて宜くないものがある。」


 元の絵そっくりに写しても、本質的に大切な部分を捕まえていない模写は悪い模写であり、そっくりに写していなくても、元の絵の意図を的確にとらえて描かれた模写はよい模写である、ということでしょう。
 今回の鳥獣戯画の模写を通して、この本朝画法大伝の短い言葉に、模写の要点、勘所がすべて詰まっていると感じました。
 
 また、模写は「描き手の個性を殺して描く」という人もいるようですが、これは違うと思いました。良い模写とは、描き手の個性と原画の個性とがお互いに殺しあわず、共存するものであると思います。
 良い役者が役の個性と自身の個性、ともに生かして演ずるように。また、音楽の良い演奏には、曲の個性と演奏家自身の個性がともに生き生きと感じられるように。
 絵画において、気韻生動、生命感といった要素が大切であるのは模写であっても変わらないはずです。模写を、単に原画そっくりになぞった複製品としてではなく、一枚の生きた絵として考えれば、描き手の個性を殺す、というような考え方にはならないはずです。描き手の個性を殺して描かれた模写は、本朝画法大伝に言うところの「似ていて宜くないもの」にしかなりえないのではないでしょうか。
 

 自分なりにいろいろと考え、学ぶところの多い模写でしたが、最大の収穫は何といってもこの絵巻の魅力にじっくりと触れることができた事です。模写というのは、学ぶ手段であるだけでなく、作品の魅力に最も近く触れる手段でもあったのです。
 過去の画家たちがたくさんの模写を残しているのも、模写が単に勉強になるからというばかりではなく、自分の手を通してだれよりも近く作品の魅力に触れる、という面白さに強く惹き付けられたからにちがいありません。
 真剣に模写に取り組んだ画家たちは、絵の中に隠された鍵を一つ、また一つと開けて制作の秘密にせまり、自身の制作にとってかけがえのない手がかりを手に入れていったのではないか、と思われます。
 模写をすることによってしか開かれない秘密の鍵が、確かにあると感じました。
                                           2011年2月
参考文献
以下、今回参考にした本です。

・鳥獣戯画/奥平英雄解説(岩崎美術 1968年)
 おもにこの本を見て模写をしました。鳥獣戯画甲巻が実物大で折本形式になっており、模写の手本として使うのに最適でした。

・鳥獣人物戯画/辻惟雄著(小学館 2007年)
 秋の鳥獣戯画展のころになって新たに出版された本です。甲巻、乙巻がすべて実物大の折本形式になっており、 印刷も良く、 乙巻の模写はこの本を使いました。

・鳥獣戯画 原寸巻物/(便利堂)
 コロタイプ印刷による鳥獣戯画の実物大複製(巻物状)です。大学での模写ではこれを使った記憶があります。

・日本の美術300   絵巻鳥獣人物戯画と鳴呼絵 / 辻惟雄著(至文堂 1991年)
 この絵巻についての基本的な知識、背景、関連する作品が的確に読みやすくまとめられており、鳥獣戯画入門と して最適の一冊です。

・日本絵巻全集第3巻 鳥獣戯画(角川書店 1959年)
 「Ⅳ画材を選ぶ」の中でも書いた通り、解説の中に山口蓬春が自身の模写体験から鳥獣戯画について書いた文が あり、画材についてなど、とても参考になる。

・日本絵巻大成6 鳥獣人物戯画(中央公論社 1977年)
  解説の中に収められている、上野憲示氏の鳥獣戯画甲巻復元案が、謎解きを読むようで、とても面白い。氏  は、甲巻を、もともと二巻あった別の巻を一巻にまとめたもの、と推定されています。上記辻惟雄氏の著書  では、断簡も含め、もとは三巻であった、という推定がなされています。

・十二世紀のアニメーション-国宝絵巻に見る映画的・アニメ的なるもの-/高畑勲著(徳間書店 1999年)
 アニメーション映画監督で、宮崎アニメにも関わってきた筆者が、アニメ映画監督の目で日本の古典絵巻を読み 解き、豊富な図版と共に映画の手法にも共通する絵巻の表現上の様々な工夫を解説していくという、非常に面白い趣向の本。絵巻は、美術館の展示ケースに伸ばされた状態ではなく、手元で繰り展げながら見ることで、初め て作者の工夫が正しく理解できる、という指摘、絵巻は八百年以上前の「紙と筆による映画」であるという指摘 には、頷くばかりです。鳥獣戯画のほかに、信貴山縁起絵巻、伴大納言絵詞、彦火々出見尊絵巻が扱われています。


・本朝画法大伝/土佐光起著 (金開堂推訳注 2002年)
 土佐光起によって17世紀に書かれた土佐派の技法書の現代語訳。模写に関して以外にも、日本画の技法書として隅々までよく読む価値があります。この貴重な書の現代語訳を、手に入りやすい形で出してくれた金開堂に感謝です。

.加山又造の日本画(アート・テクニック・ナウ)/加山又造(河出書房新社)
 日本画家加山又造が墨で牡丹を描く様子を追った、日本画の技法所としては珍しいスタイルの本。制作の現場に立ち会うような臨場感と面白さがあり、画家のこだわる墨についての解説も面白い。

・芥子園画伝 東洋画の描き方/草薙奈津子現代語訳(芸艸堂 2002年)
 中国で清の時代にまとめられた絵画技法書の草分け。絵画理論から具体的な描き方まで、詳細に解説されている。

・中国の水墨世界1~5/任道斌・関乃平監修(露満堂 1997年~2002年)
 杭州にある中国美術学院の関係者によってまとめられた、中国の絵画技法のテキスト。1.中国絵画の流れ-上古から現代まで 2.書道と篆刻の魅力 3.花鳥画の魅力と技法 4.山水画の魅力と技法 5.硯と文房諸宝 の全5巻。この中の、3、4巻を参考にしました。

・白描画のすすめ―墨絵の基本/長野英夫(日貿出版 1983年)
 白描画に焦点を当てた珍しい技法書。

・墨(墨運堂)
 墨のメーカー、墨運堂のパンフレットで、墨についての基本的な知識がまとめられている。

・和紙の手帳Ⅰ(全国手すき和紙連合会) 
 和紙の生産、用途、産地などについて基本的なことがわかりやすくまとめられた冊子。

他に、下記の資料を参考にしました。
・日本の絵巻6 鳥獣人物戯画/小松茂美著(中央公論社 1987年)
・大絵巻展図録 (京都国立博物館 2006年)

 
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