トップ◆ポルトガル紀行 7月28日
7月28日(火)  リスボン

 疲れがたまって、だんだん早起きできなくなってくる。今日は、地下鉄と電車を乗り継いで、リスボン西部のベレンへ行く。ベレンは、「ベレイン」と、レにアクセントがある感じの発音だった。ちなみにリスボンは、ここポルトガルではLisboaと綴り、「リシュボア」という柔らかい発音になる。
 ベレンの駅で降りると、日射しはまともに目を開けているのがきついほどに強く、途中で壊してしまったサングラスを、それでも持って来ればよかった、と思ったほどだが、空気は、日射しの強さからは考えられないほどに涼しい。小魚の泳ぐ青いテージョ川の岸を歩き、対岸や岸に並ぶ小舟を眺めながら、川沿いに建つ発見の記念碑、ベレンの塔と見ていく。

 発見の記念碑は、大航海時代の幕を開けたエンリケ航海王子の没後500年を記念して、ヴァスコ・ダ・ガマも船出したというこのテージョ川沿いに、1960年に作られた巨大な塔のようなモニュメント。塔の壁面には、帆船を抱えた王子を先頭に、大航海時代の立役者たちの彫像がひしめくように並び、人々が大洋の向こうへ押し出していく様子を表している。そばで見ると堂々と大きく、大海へ乗り出していったポルトガル人たちの力と、その力を先導したエンリケ王子の存在の大きさを感じる。

 ベレンの塔は、もともと16世紀に要塞としてテージョ川沿いに作られたらしいが、優しく、格別大きいわけでもなく、威圧感もなく、澄んだ青空に白く映えて美しい。司馬遼太郎が「テージョ川に佇みつくす公女」と形容した通りの、感じのいい建築だ。妻が気に入って、穏やかで強く押し出してこない感じがポルトガル人みたいだと言っていたが、たしかにそうかもしれない。そして、そういうポルトガル人の印象と、大航海時代に大洋を超えて世界へ向けて出て行った歴史上のポルトガル人とが、僕の頭の中では、ずっと結びつかないでいる。
 周囲には夾竹桃が咲き乱れ、深紅から淡いピンク、白まで色が様々で、こぼれるほどに花をつけて美しい。満開の八重桜かと思うような花の付き方。特に赤い夾竹桃は、大げさではなくルビーのような色だ。松は、ここでも好き勝手に大きく広がって、あちこちに日陰を作っている。日本の植木屋がこの松を見たら、片っ端から刈り込まずにはいられなくなるだろう。
 ジェロニモス修道院へ歩く。16世紀から百年をかけて作られたというこの記念碑のような修道院は、ヴァスコ・ダ・ガマのもたらした富によって建てられたと言う。修道院の中には、ヴァスコ・ダ・ガマや、ポルトガル最大の詩人と言われるカモンイスの棺がある。とてつもなく大きく、隅々まで彫刻で飾られているが、ベレンの塔と同じように、威圧的な感じがなく、白く明るく柔らかい印象だ。大航海時代まっただ中の16世紀、ポルトガルの繁栄は、今日のポルトガルからは想像もつかないほどのものだったのだろう。修道院前の広場には、中に入りきれない観光客が沢山あふれていて、残念だったが中に入るのをあきらめる。
 ベレンには、馬車だけが60台も展示されているという国立馬車博物館があり、これも見てみたかったが、今回は時間の関係で見送った。もしいつかまたベレンへ来ることがあれば、ジェロニモス修道院と共に見てみたい。
 
 ポルトガル7 ベレンの観光客 パステル・デ・ナタの店で 

 少し歩き、パステル・デ・ナタ(ポルトガル伝統のエッグタルト)の店パステイス・デ・ベレンで昼食。この店のタルトは、他の店よりもさっぱりした甘さで、皮はパリパリに香ばしく、いくつでも食べられそうな美味しさだった。現に、他のテーブルの人たちを見ると、一人で五つも六つも食べている。
 店を出て、大きな豆の房のぶら下がる街路樹の道を歩いてベレンの駅へ。電車でカイス・ド・ソレイユまで行って乗り換え、妻とは別行動でもう一度アズレージョ美術館に行き、ゆっくり見て回る。

 ホテルに戻り、妻とリスボン最大のショッピングセンター、コロンボ(コロンブス)ショッピングセンターへ行く。ちなみにリスボンには、ヴァスコ・ダ・ガマショッピングセンターもある。
 コロンボショッピングセンターの地下には、食料品の大きなスーパーが併設されていて、その大きさに圧倒される。買い物を入れるカートも、人が三人くらいは入りそうだし、野菜、チーズ、オイルのビン、全てが大きく、ガリバーになったのかと思うような気分。レストランのメニューに必ずと言っていいほど登場する、干したタラ(バカリャウ)もでかでかと広がって積み重なっている。物の大きさに参ったせいか、眠気と疲れが来る。夕食は、ショッピングセンターの中で、バカリャウをチーズとポテトに混ぜたものと、焼いた肉、ビール、アイスクリーム。
 パテ、ハムなどを購入して帰る。
 
 ポルトガル7.28地下鉄で リスボンの地下鉄で

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