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トップ◆ポルトガル紀行 7月26日
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トップ◆ポルトガル紀行 7月26日
7月26日(日)  リスボン-セトゥーバル
 
 今日は朝からリスボン近郊の海沿いの街、セトゥーバルへ行く予定だったが、カテドラルのミサを見てから行くことにしたため、まず、セトゥーバルへ持っていかない荷物はまとめて明後日に泊まるホテル、サナ・レックスに預けに行き、セトゥーバル行きの電車の出るセッテ・リオス駅で電車の切符を買ってから、地下鉄に乗ってカテドラルへ行く。

 11時半からミサ。他の教会でも鐘が鳴り、沢山あるどこの教会にも人が集まっている。ポルトガルはどの街でも信心深い人が多い国だ。一番後ろの、端っこの席に着く。
 ミサは司祭の話と歌で始まった。司祭の演壇の奥には淡く明かりの灯ったパイプオルガン奏者の席があり、鍵盤などが並んで小さい操縦室のようでもある。この操縦室に、小柄なおじいさんがジャケットをきちんとたたんで座っている。昨日ミサの時間を教えてくれた女性は、有名な音楽家の先生が演奏される、とCDを見せてくれた。このおじいさんが、その先生なのだろう。パイプオルガンの音は予想外に柔らかく、穏やかに響き、この柔らかで穏やかな響きは、ポルトガルの人達の印象と重なった。そして、パイプオルガンの響きを聴いていると、聖堂の建築全体が、音を響かせるための石の共鳴体として設計されたように思える。
 オルガンの響きに合わせてどこか遠くから女声合唱が聴こえてくると、脇の礼拝堂の扉が開き、修道僧がろうそくを持って並んで出て来る。
 声のきれいな女の子がソロで、パイプオルガンを伴奏に歌った歌がとても美しく、女の子の声の響きは、大聖堂の天井の高い空間に伸びてゆき、オルガンの響きと区別が付かないほどきれいに溶け合った。
 石の聖堂に響くパイプオルガンやコーラスの音色は、西洋音楽の基礎の部分に深く根を下ろし、西洋の音楽家たちにとっては響きのイメージの原点となってきたのだろう。
 前の席のおじさんは、大きな声で熱心に祈りの言葉を一緒に唱え、調子やテンポは外しながらも、立派な響く声で歌っていた。途中、お互いに握手、抱擁するところがあり、このおじさんに輝くような笑顔で促され、握手した。
 司祭の話が長かったため、残念ながら最後までいることができず、途中で退席。キリスト教徒ではない僕が参列するのは申し訳ないとも思ったが、いつかもう一度、ここのオルガンを聴きに来たいと思った。

ポルトガル7.26テージョ川1車窓から テージョ川 ポルトガル7.26テージョ川2テージョ川
 
 カフェで急いでパンとタルトを食べて、セトゥーバルへ。
 リスボンの市街から対岸へ向けて、電車が4月25日橋を渡るとき、広々と海のように青いテージョ川が見えた。ちなみに4月25日とは、ポルトガルの現在の政治体制の元となった、1974年の左翼系軍人による4月25日革命から来ている名前だ。
 リスボンの駅で聞いていた通り、セトゥーバル駅は工事中で、一つ手前のパルメラ駅で電車は止まり、すぐに駅前に来ていたバスでセトゥーバルへ向かう。パルメラ駅に電車が入る時、一瞬ホームに白須さんのアズレージョの壁画が見え、これには感動した。

ポルトガル7.26夾竹桃車窓から リスボンの夾竹桃

 セトゥーバルでは、そこら中で満開の夾竹桃とオリーブが、強く明るい日差しを受けて輝いていた。特に夾竹桃は、日本では見たことのないような、野性的な鮮やかさで咲き誇っている。駅前からタクシーで、ポザーダ(国営ホテル)サン・フィリペへ。ポザーダの宿泊料は、これまで泊まってきた安めの宿に比べるとかなり高いけれど(内容を考えればけっして高くはないが)、この旅行唯一の贅沢として、一泊予約しておいたのだ。
 ポザーダは、ポルトガル全国に四十いくつかあり、昔の城や貴族の館、修道院といった歴史的建築物をホテルに改修して使っているところもかなりある。サン・フィリペも、スペインのフェリペ二世が16世紀後半に築いた砦跡だということだ。
 スペイン国王フェリペ二世は、1581年にフィリペ一世として衰退しつつあったポルトガルの国王を兼任することとなり、アジア・アフリカのポルトガル植民地をも支配して「太陽の沈まぬ帝国」の統治者となってゆく。高校時代に世界史の授業で習った強大なスペインの王の名前に、こんなところで再会したのはちょっと意外だった。

 タクシーは山道を登ってゆき、木々に囲まれた大きな古い城壁の前で降ろされた。Cstelo Sao Filipeというホテルの案内板が出ているが、これがなかったら、ここが宿泊施設だとは誰も思わないだろう。
 アーチ型の大きな木の扉を入ると、暗い石の通路。本当に昔の城そのままになっている。通路の左手に古い礼拝堂があった。
 チェックインすると、宿の中は新しく、明るくきれいで、受付の女性もとても感じよく親切だ。部屋は小ぢんまりしてシンプルだが、清潔感があって気持ちよく、室内の木の階段を上がると、居心地よい白い壁のロフトスペースのような二階。そして、さらに二階の扉を開けるとプライベートバルコニー(プライベート城壁)があり、目の前に、明るく真っ青な夏の海が飛び込んできた。海は明るい日差しを受けて、一面輝くように見える。なんとも贅沢。
 バルコニーから出て、海に臨む絶壁に築かれた広い城壁の上を歩き回ってみる。城壁の高さに足がすくみつつも、海からの風を受けてとても気持ち良い。海の中に細長く見えるトロイア半島の向こうは、もう大西洋だ。セトゥーバルの市街も、遠く一望の下に見渡せる。

 妻と海で泳ぐことにして、タクシーで浜へ降りる。久々の海水浴。浜は観光客であふれているが、日本人は僕達以外にいない。海の水は思ったより冷たい。
 妻は喜んで泳いでいるが、僕は浜で寝そべってリンゴをかじっている色黒のポルトガル人の男の子がかわいかったので、スケッチし、水彩で色をつける。描き終わるまでじっと動かないでいてくれたその子にサインしてスケッチをあげると、とても喜んで、嬉しそうな顔で砂の上に寝転がったまま、じっと絵を見ている。その様子を見ていると、僕も嬉しくなった。横で寝ていたその子のお父さんに「ヒロシって言うのか。中国人か?日本人なのか。よく描けてる。ありがとう。」とお礼を言われる。

 すると、その様子を見ていた目の前の二十歳ぐらいの三人組の女の子たちがやってきて、「私たちも描いてもらえない?」と頼まれた。次は海でも描こうと思っていたのでどうしようかと思ったが、引き受けることにした。
 小型のスケッチブックに一人づつ背景に海を入れて描き、水彩で色をつける。モデルになっている子以外は描いているところを見に来て、実況中継したりしている。似顔絵はごまかしがきかない。似ているか似ていないかは、誰が見てもすぐ分かる。この二週間の旅行中で、一番緊張した瞬間。
 最初に描いたポルトガル人親子が帰るとき、もう一度握手すると、集まってきた浜の人たちに拍手が沸き起こった。この浜で一番目立つ人になってしまった。もはや失敗は出来ない。海パンにビーチサンダル姿で冷や汗をかいた。
 日差しは昼のように明るいが、夕方六時を過ぎ、妻をずいぶん待たせてしまっていることに気付いた。二人目までは描き終わったが、三人目は夕食の時間だからと断ろうとすると、横にいた全身刺青のお兄さんみたいな人に「この娘も描いてやってくれ。この娘が一番素敵じゃないか。奥さんもディナーかもしれないがもう少し待ってあげてくれ。」と頼み込まれて、なんとか三人目まで描き終えた。それなりにきちんと顔は似せられたと思うし、女の子たちはとても喜んでくれた。ただ海水浴の時間はなくなった。
 午後七時過ぎ。なんで三人描くだけでこんなに時間かかってんの、と妻になじられながらタクシーを捕まえて帰り、気を取り直して夕食。
 
 ポザーダのレストランは、横に長く窓があり、海とセトゥーバルの街が広々と見渡せて気持ち良い。室内は白い壁であまり飾り気なく、他に二組ほどの客がいるだけで、質のいい落ち着く雰囲気。
 ビール、スープ、ソーセージ盛り合わせ、カタプラーナ(魚介の煮込み)を頼む。ビールが気持ちいい。ソーセージ盛り合わせは、数種類のスライスされたソーセージが、大きな皿に驚くほどたくさん並べられて出てきて、これだけでお腹いっぱいになるほどだった。今まで食べたどのソーセージとも全く別物、と言っていいほどに美味しく、肉の濃い甘みがあった。カタプラーナもあっさりした味で美味しい。
 日が落ち、夜になってもレストランの中はほとんど明かりをつけず、窓からの街の灯が、静かな暗い室内に美しく広がっていった。街の灯りが照明代わりなのだ。給仕の人は、以前日本人のガールフレンドがいた、とかで片言の日本語ができた。物静かに穏やかな人で、夕食の時間をとても落ち着いたものにしてくれた。 

 食後、外のテラスでエスプレッソを飲み、星の出た夜空と、暗闇に浮かぶ街の明かりを眺めながら、妻と城壁の上をいつまでも歩く。夢のように気持ち良い。

ポルトガル7.26ソーセージ夕食のソーセージ

 ポザーダの公式サイト
 
 -7月27日へ-

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