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トップ◆ポルトガル紀行 7月20日
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トップ◆ポルトガル紀行 7月20日
7月20日(月) リスボン-ポルト

 朝6時半に起床。長時間の飛行機のせいか体中凝っているので、まずシャワーを浴びる。パンとコーヒーの朝食。
昨晩、そのずっしりとした暗がりの中の存在感に、ヨーロッパへ来た、という実感を与えてくれた向かいの家の壁は、改めて朝日の下で見ると、ピンクや黄に塗られていたり、明るい色のアズレージョで飾られていたり、色とりどりだった。分厚い石と土のヨーロッパの壁は、日本の壁にはあまり見られない、時間をかけてじっくり深く刻み込まれたような、様々な表情を見せている。そうした古い壁の窓やベランダから色鮮やかな洗濯物がぶら下がっているのが、とても新鮮に映る。向かいのピンクの壁をスケッチする。

 宿をチェックアウトし、今晩の宿泊地ポルトへ行くため、街の南東にあるサンタ・アポローニア駅へ向かう。リスボンの街はあまり広くはないので、街を見る目的も兼ねて歩いてみた。外の空気は、この時期の東京とは違ってともかく涼しく、湿気がなく、肌に心地よい。まだ朝で、あまり店も開いていない。繁華街、バイシャの通りを歩いていくと、通りの向こうに立派な彫刻の施された大きな石の門がそびえている。この門を抜けると、黄色い壁の印象的な官庁の庁舎に囲まれた工事中のコメルシオ広場で、中央にドン・ジョセ1世の騎馬像が立ち、そして騎馬像の見つめる先には、リスボンから大西洋へと流れ出るテージョ川が、目の前に現れる。リスボンで生まれた音楽家のグループ、マドレデウスにもテージョ川の歌があったが、海のような印象でゆったりと流れるこの大きな川は、たしかにリスボンの街の主役のようにも見える。そして、大通り、門、広場、騎馬像という道具立てによって、街からテージョ川へと、印象的に対面するように構成されている。
 街を歩いていると、建物の造りや石畳の道に、学生の頃に旅したイタリアの街を思い出した。明るい朝日の中に、鮮やかな夾竹桃や、アズレージョで飾られた家が見える。

ポルトガル7.20車窓から山 車窓から ポルトガル7.20車窓から木車窓から

 11時30分 サンタ・アポローニア駅でインテルシダーデ(特急)の切符を買い、ポルトガル第二の街、ポルトへ向かう。車窓から見えるのは、赤茶や黄土の土と、淡い色の細長い木の葉。乾燥した土地。
  やがてドウロ川の向こうに、世界遺産ポルトの街が見えた。車窓から見たポルトの街は、エッフェル塔で有名なエッフェルと、その弟子が設計した19世紀の鉄橋を含む、三本の橋のかかるドウロ川沿いの丘に、赤い屋根が寄り合うように並んでいる。川と丘と街が一体となってまとまったようなポルトの景観の美しさに、妻は「わあ、きれい!」と言って窓際に来て眺めている。街は一旦視界から消え、また電車がサン・ジョアン橋を渡る時に、もう一度全景が見えた。立ち上がって窓に寄って、駅に着くまで眺めた。
  ポルトガル7.20電車のお姉さんポルトへの乗客 ポルトガル7.20電車のおばさんポルトへの電車で

14時50分、ポルト、カンパニャン駅に到着。電車を乗り換え、一つ先の街の中心部、サン・ベント駅で降りる。大きな時計の掛かる真昼のサン・ベント駅のホームは、各国からの観光客であふれていた。
 この駅でまず目を奪われたのは、構内のアズレージョの壁画の美しさだ。天井近くまで、駅の壁一面を覆うコバルトの鮮やかな明るい青が印象的だ。絵それ自体は比較的新しい歴史画で、あまり面白いものではなかった。しかし、壁面全体の青と白の色合いが、駅のガランとした構内を殺風景にさせず、明るさと開放感を与えている。思わず足を止めて壁を見上げ、壁に近づき、アズレージョの色彩が作り出すこの空間の柔らかな美しさに、知らない街へ来た実感とともに眺め入った。

 一歩駅を出ると、駅前にはアズレージョの青い外壁の教会が建ち、リスボンよりさらに古めかしい街並みだ。駅の売店でポルトの地図を買い、宿までしばらく歩く。
 ポルトはこの国第二の街、とは言っても、日本で大阪が第二の街、というような印象とはずいぶん違う。中には数百年という古い建物が建ち並び、小ぢんまりとした、どことなくひなびた印象すらある街である。大通りはとてもにぎやかで、立派な市庁舎、またまたアズレージョの青い壁画が印象的なグレリゴス教会、そして大学の脇を通り、15時45分、ポルトの宿、レジデンシア・サン・マリノにチェックイン。
 重い荷物から開放され、宿の横の通りをぶらぶらと北へ歩き、カフェに入ってサンドイッチとエッグタルト、エスプレッソの遅い昼食をとる。カフェのお兄さんが、タルトにシナモンパウダーをかけるとうまいよ、と身振りで食べ方を教えてくれる。エスプレッソの美味しい店だった。
 古本屋をのぞいたり、石畳の小道の古い街並みを面白く眺めながら、今度はドウロ川の流れる南へ歩いて下る。ドウロ川の向こうには、晴れた空の下、対岸の街並みが見渡せて眺めが素晴らしい。

 ボルサ宮と、サン・フランシスコ教会を見る。サン・フランシスコ教会は、内部が手の込んだ金泥細工の装飾で覆い尽されている。たしかに立派かもしれないが、過剰にゴテゴテしていてあまり好きになれず、もしこれが神の国のイメージなら、僕だったらちょっと行きたくない、と思った。日本ではあまり見慣れない、血を流すキリストやサン・フランチェスコの像も、妙にリアルな生々しさがあって、クリスチャンの方には申し訳ないが、夜夢に出て来てうなされてしまった。
 ポルトガルの夏は遅くまで昼のように明るかったので気付かなかったが、見終わった頃には既に夜の8時になっていて、いったん宿へ戻る。
 宿へ戻る途中、猛スピードでカーブを曲がってきた車にあやうく轢かれそうになった。妻に手を引っ張られて、間一髪で助かった。僕の不注意もあったかもしれないが、それにしてもポルトガル人の車の運転は本当に乱暴だ。石畳の狭く曲がりくねった路地の多いこの街でも、相当なスピードを出す上に、カーブでもその速度を維持している。そして、歩行者用信号は、道の広さに関わらず、同じ時間間隔で青から赤に変わる。広い道では、ほとんどの人が青の間に渡りきることができない。ポルトガルの街で、松葉杖や足の不自由な人をたくさん見かけるのは、間違いなく交通事故のせいだろう。
 
 さてポルトガル最初の夕食は、「地球の歩き方」に出ていた、宿から遠くない「串焼きの店」に決める。夜道で地図を見ていると、おじいさんが通りの向こうから歩いてきた(この人も足が悪かった)。おじいさんは言葉がほとんど通じないにもかかわらず、こちらが理解するまで丁寧に道を教えようとしてくれた(ポルトガルでは、こういうことがよくあった)。
 店に入って、「串焼き」という言葉から短絡的に日本の竹串の串焼きをイメージしていたのが、大間違いだったことが判明した。店内のガラスケースを見ると、長い鉄の串が並び、肉や魚介類の巨大な塊が、いくつもいくつも連なって刺さっている。ちょっとずついろいろ注文して食べてみよう、という赤提灯的な楽しい期待が一気に崩れ、思わず妻と顔を見合わせた。とりあえず控えめに、豚肉とタコの串をそれぞれ一本ずつ、それからサラダとヴィーニョ・ヴェルデ(グリーンワイン、微発泡のワイン)を注文する。しかし、出てきた串焼きには、追い討ちをかけるように山のようなポテト、ライス、炒めたホウレンソウの付け合せが盛り上がるほどに添えられていて、その半端じゃない量に驚愕し、再度妻と顔を見合わせた。串焼きってこういうことか…。ポルトガルでは一人一串で立派なディナーか…。外国というのは、予想外のところで分からないことに出くわすものだ。さすがにこんなことは、「地球の歩き方」も教えてはくれない。 
 控えめな注文のつもりだったが、死にそうに食べても食べきれない。僕も妻も腹ペコだったにもかかわらず、かなりの量を食べ残すことになり、憂鬱な気分になって店を出る。帰国の頃になって分かったことだが、こちらの人は、日本人ほど食べ物を残すことには抵抗感がないらしい。だれかそれを、ポルトガルに行く前に教えてほしかった。
ポルトガル7.20オリーブ手をつけなかったオリーブ

 夜道を歩いて帰る途中、カフェでエスプレッソを飲み、少し胃が落ち着いてから宿に戻ることにする。カフェの前の広場では、ポルト大学の学生がたくさん集まって陽気に騒いでいる。多分、ポルトガルでは今日が学年末だ。卒業する学生たちもいるのだろう。彼らは、昼に見た、あの古色蒼然とした石の校舎で学んだのだろうか。街がいくら古くても学生たちは普通に若者だが、この古めかしい街での学生生活は一体どんなものだろう、と思った。世界遺産の街ポルトでの学生生活を想像しながら、夜のカフェの学生たちを眺めた。
ポルトガル7.20学生たち学生たち

-7月21日へ-




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