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トップ〇「子どもの美術」
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トップ〇「子どもの美術」
 
 講師をしている日本画教室のテキストとして、「日本画の手引」を書いた(詳しくは日本画の手引についてをご覧ください)。

日本画の手引

 この手引きを書きながら考えたことがあった。それは、自分の考えと客観性とのバランスをどう取るか、そして、書くべきことと書く必要のないことの線引きはどこか、ということだ。
 技法書、テキストといったものは、客観性、公平性が大切だ。しかし、絵の技法は単独で宙に浮いたように存在するのではなく、表現と密接に結びついている。そして表現は、考え方や感じ方、物の見方と切り離せない。著者の考え方が一本通っていることで、紹介されている技法もそれぞれ関連性を持ち、意味を持ってくる。
 技法や作品、方法論をただ並べて紹介するだけに終わっている技法書は、その世界の面白さや深さを伝え、引き込んでいくだけの力を持ちえない。
 また、多くの答えが用意されている技法書が良い技法書とはいえない。方向性だけ示唆して、あとは読んだ人がそれぞれ自分で自分の答えを導いた方が良いこともたくさんある。私の書こうとしたのは日本画を学び始める人の使う手引であって、データ集ではない。
 そんなことを考える中で、指針を与えてくれた本があった。

 「子どもの美術」(小学校用)
 「少年の美術」(中学校用)
 「美術 その精神と表現」(高等学校用)

 現代美術社から30年ほど前に出版されていた図工、美術の教科書だ。私の日本画の手引はこの教科書ほど立派な本ではないが、今回は、とても影響を受けたこの現代美術社の教科書を紹介したいと思う。

 現代美術社の教科書は、社長の太田弘のもと、彫刻家の佐藤忠良、画家の安野光雅らが参加してつくられた。これは、他社の美術の教科書とは全く違う。他社の教科書が、どれも情報や知識の羅列になって、一冊全体読んだ時の印象が散漫になってしまっているのに対し、現代美術社の教科書は、美術とは何か、何を学ぶべき教科なのか、そのために大切なことは何か、といったことを著者がはっきりと語りかけるようにして書かれている。一冊通して読んだときに、確かな手ごたえが残る読み物になっているのだ。

 もちろん、こうした方法には難しさもある。美術という、自由で幅広い世界を一面的に伝えてしまう可能性があるからだ。しかし、そうした難しさに向き合うことなく、無難にいろいろな情報を並べるだけで終わってしまっては、そもそも美術とはどういう教科なのか、という教科書が伝えるべき一番本質的な部分を逃してしまう。
 そんな教科書を読んで、生徒が美術という世界に、本気で惹かれるだろうか?いろいろな作品制作をして、さてではそれがどんな意味を持ってなされていたのか、という疑問に答えられるだろうか?
 美術という教科の存在価値すら疑問視される現状は、羅列的で、一貫した価値観を示せない教科書にも責任の一端があるように感じられる。
 現代美術社の教科書は、美術を子供に伝えるという難しさに正面から向き合っている。美術という世界の持つ確かな手ごたえを伝えようとしているのだ。

 また、この教科書は、生徒を子ども扱いしていない、という点も特徴的だと思う。本当に良いもの、必要だと思うことは、すぐに理解されなくとも、大人がきちんと取捨選択して提示し、伝えるようにしなければならない、という姿勢が感じられる。
 子供向けの本を作るときに、子供にとっての面白さ、わかりやすさを優先し、子供を必要以上に子ども扱いしてしまう、ということがあると思う。
 子ども用の絵本を見ていても、子供向けだからこういう絵でいいだろう、この程度の内容でいいだろう、という制作意図が透けて見えてしまう絵本がある。確かに、そうした本でも子供が喜ぶのは事実だ。しかし一方で、子供の時に読んで面白く、大人になって読んでも改めてその内容や絵の素晴らしさに感心させられるような本もある。
 子供向けの本も、大人の鑑賞にも耐える、ということが基本であると思う。それは、子供に本当に良いものを与えよう、という気持ちからくるはずだ。子どもの心に響き、大人の心にも響く本を作る、ということは、おそらくとても難しいことだと思う。
 しかし、大人の鑑賞に堪えない子供用の本は、子供を食い物にしているだけであろう。子供を子ども扱いしすぎている本は、大人の責任放棄のように見える。
 食べ物が体の栄養であるなら、子どもの本は子どもの心の栄養だ。その責任は、普通に想像するよりも実際はもっと大きいのではないかと思う。

 現代美術社社長の太田弘がこの教科書を作った背景には、教科書作りにおいて「子供が食い物にされている」現状、教育理念よりも採択してもらうための営業的な面ばかりが先立ち、「継ぎ接ぎの本」となってしまっている既存の教科書作りに疑問を持ったからだという。図工教科書業界にとって、実に20年ぶりの新規参入だった。
 しかし、大手出版社による占有の壁は厚く、初回1980年に採択した学校は、公立小学校では小笠原地区(2校)のみ、私立は26校だったという。その後も採択率は伸び悩み、佐藤忠良が彫刻を売って経営を助けたものの、15年後の1995年で幕を閉じてしまった。

 そうして一度は消えてしまった現代美術社の教科書だが、2013年に復刊ドットコムから小学生用の「子どもの美術」が読み物として復刊された。消耗品で終わらない教科書を作ろうとした著者の情熱が、時を越えて伝わったのだと思う。
 2011年、当時大学生だった西郷南海子さんという方が、大学のゼミの「教科書について調べる」という課題で戦後の図工の教科書を調べていて、一つだけ変わった教科書「子どもの美術」と出会い、その魅力に惹かれて関係者を動かし、とうとう一年半という短期間で復刊にまでこぎ着けてしまったのだ。元NHKアナウンサー山根元世が日経新聞のコラムに「子どもの美術」について書いたことが決め手になった。

 個人的には、復刊されていない中学生用の「少年の美術」が好きだ。

少年の美術

 佐藤忠良が参加しているだけあって、彫刻については充実している。
 カミーユ・クローデルの頭部に大きな手のかぶさるロダンの珍しい彫刻や、シャルル・デスピオが2ページにわたって取り上げられている。古代エジプトの木製の彫像と、運慶の無著(むちゃく)像が並んで取り上げられて、それぞれの国の風土と関連付けて彫刻の在り方が説明されているのも面白い。
 また、ゴッホの絵と手紙の言葉を並べて絵について考えさせるようなページがあったり…。
 小学生用の「子どもの美術」では、自分の作品を入れられるような本格的な木製の額縁の作り方が紹介されていたのが印象に残っている。

P1040099_convert_20170929060336.jpg

少年の美術

1少年美術

少年の美術2
 
 何よりも最初に、美術を学ぶ意味、というのを誠実な言葉で語りかけるように書いてあるページがあるのが良い。小学生用の「子どもの美術」には、こう書かれている。

 ずがこうさくの じかんは じょうずに えをかいたり じょうずに ものをつくったり することが めあてではありません。

きみの めでみたことや、きみの あたまでかんがえたことを きみのてで かいたり つくったりしなさい。

こころをこめて つくっていくあいだに しぜんが どんなにすばらしいか、どんなひとになるのが たいせつか、ということがわかってくるでしょう。これが めあてです。

 

 「教科書こそ、子どもにとって最良のすぐれた本であり、文化であるべきだ。」
 という理念は、この教科書を見ていると、実際に手応えとして伝わってくる。
 そして、子どもにとってだけでなく、大人にとっても、また美術関係者にとっても十分に読み応えのある本であり、初心に帰らされる内容でもあるのだ。
 こういうしっかりした取り組み方の、多様な美術の教科書が数社から出版されれば‥と願わずにはいられない。

少年の美術3


「子どもの美術 復刊版解説」(西郷南海子著)を参考にしました。

2017年9月


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