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門出和紙 
 
 先月、制作用に注文していた和紙が届いた。新潟県の高柳で漉かれている門出(かどいで)和紙である。楮(こうぞ)の繊維で漉いた楮紙だ。新しい紙を買うと、これからいろいろと描くことを想像してとても楽しい。実際に描き出すと難航したり、せっかくの紙の美しさを殺すだけでもったいないことになったりすることもあるが、描く前はただ楽しい気分に浸れる。

 門井和紙

 門出和紙ホームページ

 紙というものは、いま身の回りにあふれている。しかし、絵を描くようになってから、和紙に限らず紙の美しさ、肌触りというものに、とても魅力を感じるようになった。見て、手で触れていると、気持ちよく落ち着く紙もあるし、紙によってはなにか落ち着かないものもある。
 手作業で紙を作る労力を考えると、昔は紙というものは、誰でもいくらでも使える、というものではなかったはずだ。それだけに、白い紙の美しさには、とても大きな魅力があったと思う。
 こんなに美しく白いものは、紙と反物、そして自然界の雪以外にはあまりなかったのではないだろうか。

 私の学生時代、日本画の制作というと、雲肌麻紙という紙が多かった。厚手の、表面にざらつきのある和紙で、麻や楮(こうぞ)などの材料を使って越前で漉かれている。2メートルを超える大判のものまで漉かれていて、日本画の公募展の一般的なサイズである150号も一枚で張ることができ、岩絵の具の厚塗りに耐える強さもあるため多く使われていたのだと思う。
 私も初めはあまり疑問を持たずに雲肌麻紙で制作していたが、ある時、日本橋の小津和紙という和紙専門店へ行って日本各地で漉かれている和紙の種類の多さに驚かされた。と同時に、これだけの種類の和紙があるのに、雲肌麻紙一種類しか使っていない自分に初めて疑問を持った。材料も風合いも様々で、ただ見ているだけでも見飽きない。ここにあるたくさんの和紙を使って製作してみたい。そう思った。
 雲肌麻紙は決して悪い紙ではないと思う。しかし、日本画の制作にこれだけ多く使われる理由は、大型サイズの公募展出品に便利である、というただ一点であると思う。それだけの理由で、この豊かな和紙の世界に目をつぶるのは何とももったいない。大きな画面を描きたければ、継げばいいのだ。昔から襖も屏風も、みなそうしている。
 
 以前どこかで読んだ話で、ある日本の洋画家がピカソを訪ねたとき、手土産に上質な和紙を持って行ったという。その和紙を手に取ったピカソは、洋画家に「あなたはこの紙を使って制作しているのか?」と尋ねた。「使っていない。」と答えた洋画家に、ピカソは「なぜ自分の国にこんなに良い紙があるのにあなたはこれを使わないのか?」と言って不思議がったという。
 おそらくその洋画家にとっては、洋画というものはキャンバスや油絵具といういわゆる洋画の画材で描くものという固定概念があって、自分が和紙を使って制作する、ということは考えもしなかったのだろう。
 日本画は雲肌麻紙、という発想も、どこかこの話を思い起こさせる。とは言っても、自分の思い込みに自分で気づくというのは誰にとっても難しいことだし、私も偉そうに人のことは言えない。やはり、ピカソのような人に素朴な疑問をぶつけてもらうのが一番良いのかもしれない。
 
 私が今、一番多く使っている紙は、最初にも書いた地元新潟県の門出和紙である。山道をどこまでもうねうねと登って行った先にある、山間の小さな集落で漉かれている。何年か前に一度訪ねて行ったときは新緑の季節で、美しい自然が周囲を溢れるように取り囲んでいたのが印象的だった。外に並べた木の板に紙を張り付けて乾かしていた。
 昨年十二月ごろに今年使う分を注文した時、五月の納品になると言われた。なぜそんなにかかるか、といえば、ここ新潟県では雪が多いため、冬場に漉いた紙を一旦雪の中に埋め、気候の良くなる春に掘り出して板に張って天日乾燥させるからだという。
 紙漉きというのは、水槽の中に紙の原料となる木の繊維を拡散させてそれを漉き上げるため、漉いたばかりの紙は湿っている。その紙に圧をかけて水分を抜き、そのあと乾燥させて仕上げる。現代では金属板に張り付けて熱を加え、短時間で乾燥させる所も多いが、門出和紙では、木の板に張り付けて天日乾燥させる昔ながらの方法も残している。この方が紙の繊維を傷めず、紙にとっては優しい方法なのだ。繊維を傷めてしまうと、紙の強度も弱くなる。
 紙漉きの季節としては、水中の雑菌も少なくなる冬場が良いのだが、天日乾燥するには、雪国の冬は気候が悪い。そこで漉いた紙を雪に埋めて春を待つのだ。これを、「かんぐれ」と言っている。雪に埋めている間に、紙質が締まって良くなる、とも言われている。

 また、話が前後するが、紙の原料である楮の繊維は、雪の上に並べて漂白する。これを雪晒しと言う。雪の上で晒すと、オゾンの効果で白くなるというのだ。天然の漂白剤である。
 紙漉きというと、水槽から漉き上げている場面のイメージが強いが、実際には原料となる植物の繊維を処理するところに時間も労力もかかる。アルカリ性の木の灰汁で煮たり、水の中で手作業でチリよりをしたり。ここで、冬場にはただで豊富に使える雪の力も借りるのだ。
 雪は、時に人の命も奪うが、こうして美しい紙を漉くのにも使われている。雪の上で晒され、雪に埋められてできてくるこの紙の白は、新雪のように澄んで柔らかく、いつまでも眺め、触れていたくなる。薬品で漂白して作る紙とは白さの質が違う。
 紙というのは目立たないが、絵の下地となる、一番大切な材料だ。紙の感触は、筆を通して描き手に伝わり、描き手の心に多くの影響を与えているように思う。
 
 もう一つ、新潟県の紙で、雪布(せっぷ)和紙という紙がある。少量しか漉かれていないのか、県内でしか流通していないようだが、とても美しい草木染の紙である。染めた和紙というのは各地で作られているが、この雪布和紙の色あいは柔らかく、繊細で、何ともいえぬ特別な良さがある。なにか描くつもりで買ったが、しばらくはそのやさしい色あいを、ただ眺めて楽しんでいる。

雪布和紙

2017年6月

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