FC2ブログ
トップコラム
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
トップコラム
夏野菜の栽培

 東京で絵を描いていたころは、花といえば木に咲く花が好きで、近所にあった梅や山茶花などの絵を描いた。しかし、八年前、燕市のはずれに引っ越してからは、草に咲く花がきれいだと感じるようになった。花だけではない。いままでほとんど興味のなかった草というものが気になるようになったのだ。
 はるか遠くまで広く見渡すことができる越後平野には、あまり目立つ木がなく、それよりも春から夏にかけて見渡す限り一面に生えてくる草の方が存在感があるのだ。

スケッチ菜園墨
スケッチ 庭

スケッチ菜園
スケッチ 菜園の片隅 

 今の時期、近所の畑を見て歩いていると、ジャガイモ、枝豆、トマト、キュウリ、トウモロコシと、いろいろな野菜が育ち、畑の片隅では、仏壇に上げるためか、四季折々の花が咲く。様々な植物が植えられた各家庭の菜園には、一つ一つ見て歩いて見飽きない楽しさがある。
 濃い緑の葉に紫の花が咲く茄子、明るく細かい黄緑色の葉の人参、黄色く小さな星形のトマトの花、群がって咲くジャガイモの白い花、そしてその傍らには、百合や紫陽花、紅白の蓮の花を咲かせている所もある。色も形も様々な植物が菜園の中にまとめられ、手入れされている様子は、自然を素材とした多彩なパッチワークを眺めているようで本当に見飽きない。

 私自身も引越してから、トマト、茄子、枝豆などを栽培する機会を得た。それは、いわば意図せず偶然めぐってきた機会ではあったが、東京で育ち、野菜の栽培などとは縁のなかった私にとっては、本当に新鮮な体験であり、絵の制作の上にも大きな影響というだけでは済まない、決定的な方向付けを与えられたのだ。
 東京にいたころも家の庭で花を育てたりしたことはあったが、野菜の栽培という体験は大きく違った。一株ずつ植えた苗に親しみがわき、畑で野菜を育てるということ自体がとても面白くなって、毎朝畑を見に行きたくなった。そして、明るい朝の日射しの中、植物の生命力を感じるのだ。

スケッチ茄子1
スケッチ 茄子

スケッチ茄子の実1
スケッチ 茄子の実

 そんなある朝、背丈ほどに育ってきたトマトを見ていると、そこにクモが巣をかけていた。トマトの一番上、成長の先端はとても柔らかく、これから葉や茎、花になる小さな部分が一つの芽の中にまとまっていて、とても複雑に見える。そこにクモが違った複雑さで糸を張っている。
 「かなわないな」と思わず独り言をつぶやいた。自然の複雑さには、とてもかなわない。どんなに観察して分かった気になっても、自然には捉えきれない複雑さがある。トマトの先端とクモの巣と、複雑なもの同士が絡まり合い、より複雑なバランスを生み出している。そのクモの巣は、さらに隣の別の複雑さをもった作物へと絡まる。そのすべてを追いかけつくすことなど到底できない。頭で理解し、計算して絵を描こうとしても、自然の複雑さの前ではあまりにも無力なのではないか。  
 その思いは、その後の私の制作を変えていったように思う。あまり考えすぎず、素直に感じたように描いていこう、と言うと簡単すぎるのだが…。
 自然を丁寧に観察することは大切なことだし、まずはそこから始まる。しかし、自分の観察し得た事だけですべてを計算し、構成し、再現しよう、という姿勢だと、到底自然の豊かさを表現することなどできない。そこで、素直な感じる気持ちが意味を持ってくるのではないか、と思ったのだ。描こうとする対象に対し、また、描いている絵に対して、理論や計算で武装せず、出来るだけ素直に気持ちを開くように、自分の感じるままに向き合ってゆくしかないのではないか。
 禅の悟りには、漸悟と頓悟があると何かで読んだことがある。少しずつ積み重ねるように悟りに近づくのが漸悟で、ある瞬間にパッと悟るのが頓悟だという。あの朝、トマトとクモの巣にかなわないと思わされたあの感じは、パッと自分の視野が開けるような感じと、無用に背負いこんでいた重荷を下ろす感じがあった。まさに頓悟とはこのような感じなのではないだろうか、と思った。

スケッチトマトの芽
スケッチ トマト

スケッチトマトの実
スケッチ トマトの実

 野菜の栽培は、思わぬところへ私を導いてくれた。そして、今までは目も向けなかった草のもつ生命感と美しさを私に教えてくれた。
 野菜を育てて、改めて身の周りの草を見ていると、植物の生きる力、茎の強さや芽の柔らかさ、根の張りといったことを想像できるようになった。こうしたことは、植物の絵を描くときの気持ちに、確かな実感を与えてくれる。
 絵を描くときに実感を持って筆を執るということは、とても大切なことだ。
 なにも植物の絵を描くには、必ず野菜の栽培を経験すべきだ、などと思っているわけではない。栽培を経験しなくても、立派な植物の絵を描いた人はいるだろう。しかし私に関して言えば、トマトや茄子を栽培することで筆を執るときの実感というものを学んだ、ということはいえる。茎の流れを描く時、繁った葉を描く時、ただ色や形を把握しているだけでは足りない。その茎や葉を描く筆の動きにどれくらいの勢いを持たせるのか、どの程度の強さ、どの程度のしなやかさが必要なのか、そうしたことを体の感覚として決めていく、その決め方がつかめるようになった、ということだ。そこのところをつかんでおいて、あとはできるだけ素直に画面に向き合う、ということが今の私の制作の要点だ。
 対象を生かし、自分を生かし、画材を生かし、この三つが生きることで初めて画面が生きてくるのだと思う。実際には、対象を生かそうとして自分が死んだり、画材が死んだり…、なかなかすべてをうまく生かすことは難しい。しかし、このすべてを生かすポイントこそが、自分の感じ方を素直に出してくる、ということなのだ。
 私にとって野菜の栽培とは、そうしたことを考える大切なきっかけだった。

スケッチ茄子2
スケッチ 茄子
スケッチ茄子の実2
スケッチ 茄子の実

スケッチスイカの苗
スケッチ スイカの苗

2018年7月

前のコラムへ
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。