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ヴィーラント・ワーグナー

好きな音楽は?と訊かれると、ワーグナーと答える。他にも好きな音楽はたくさんあるが、やはりワーグナーが一番好きだ。
初めてワーグナーを聴いたのは、十二才の時、オペラ「ワルキューレ」の公演だった。やや遅れて会場に着いたため、客席に入るとすでに照明が落とされて真っ暗な中、今まさに始まったばかりのオーケストラによる前奏曲が鳴り響いていた。弦楽器が低音で激しく刻むようにして始まるこの曲が嵐を表していることは知っていた。しかし、生でそのうねるような響きを耳にすると、暗く激しい嵐に登場人物の運命が重ねられていることがはっきりと感じられた。重層的なイメージを音のうねりとして伝えてくるワーグナーの音楽の力に引き込まれたこの時が、音楽というもののもつ底力に初めて触れた瞬間だったのかもしれない。
今でこそ絵を描いているが、高校の芸術科目は、音楽、美術、書道の中から迷わず音楽を選択していたし、高校二年の冬に担任との面接で卒業後の進路について、声楽か、舞台演出か、絵をやりたい、と話したのも、ワーグナーの影響だろう。こんな生徒を笑わずに真面目に対応して下さった担任の先生には、今でも感謝している。

私の手元に、十代のころから何度も何度も眺めた小型の写真集がある。音楽之友社から出ていたmusic galleryというシリーズの中の一冊で、「バイロイト音楽祭 ニーベルングの指環」というタイトルになっている。
「ニーベルングの指環」は、ワーグナーが北欧の神話エッダや、アイスランド・サガ、ニーベルンゲンの歌といった古い伝説をもとに、呪われた指環を巡って神々が没落してゆくという一つのストーリーをまとめ上げて作詞、作曲した連作オペラで、「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」という四つのオペラから成る。上演に四夜、のべ十五時間を要する大作だ。私が初めて見た「ワルキューレ」は、この中の二番目の演目ということになる。 
ワーグナーは、大都市の一般の歌劇場はこの大作の上演には適さない、と考え、地方都市バイロイトに劇場を建て、自作のオペラを上演する音楽祭を始めた。これが、一八七六年から現在まで、百年以上にわたってワーグナー家の子孫の運営によって続けられているバイロイト音楽祭だ。「ニーベルングの指環」をはじめ、ワーグナーの七つのオペラからいくつかを選んで毎年上演している。
音楽之友社の写真集には、ヴィーラント・ワーグナー、ヴォルフガング・ワーグナー、パトリス・シェロー、ピーター・ホールという四人の演出家がバイロイトで演出した「ニーベルングの指環」の舞台が、美しい写真で紹介されている。同じオペラが、演出家が変わることで全く異なったイメージの舞台になるのが面白く、二十年前も今も繰り返しページをめくって見ている本だ。

黄昏Ⅰ
「バイロイト音楽祭 ニーベルングの指環」(音楽之友社)から ヴィーラント・ワーグナー演出「神々の黄昏」第一幕 1965年

この中で、ひときわ美しく、強く惹かれたのが、ヴィーラント・ワーグナーの演出、美術による舞台だった。ヴィーラント・ワーグナーは、作曲家ワーグナーの孫で、斬新な発想による才能豊かなオペラ演出家として活躍した。戦後に本格的に演出家として活動したものの、一九六六年に四九才という若さで亡くなったため、特に見たいと思う五〇年代の舞台写真は白黒のものが多く、いつかカラー写真でまとめて見ることができれば、とずっと思っていた。
そうしたところ、一昨年の二〇一七年がヴィーラントの生誕百年にあたり、この年にドイツで出版された「Wieland Wagner」という大型の写真集があることを知って、さっそく買った。ヴィーラント演出の舞台を大判のカラー写真でたくさん見ることができ、念願がかなえられた思いだ。

表紙
表紙は、ヴィーラント・ワーグナー演出「ジークフリート」第三幕 1956~8年

ヴィーラントの舞台は、ワーグナーの台本の指定している森や岩山、室内といった場面がそのまま作られているわけではなく、具体的なものは極力そぎ落とし、かぎりなくシンプルで象徴的だ。そして、そのシンプルで広々とした舞台に照明の美しさが映える。マーク・ロスコの抽象画のような美しさ、といったらよいだろうか。動きを極力排した演技も含め、戦後のオペラ界全体に強烈な衝撃を与えた舞台であったようだ。

日本の舞台照明の第一人者である吉井澄雄は、一九六三年、三十歳の時にドイツへ行き、バイロイトでヴィーラントの演出によるワーグナー最後のオペラ「パルジファル」の舞台を見ている。当時、舞台照明という仕事に疑問を感じるようになっていたという吉井氏は、ヴィーラントの舞台の印象を、次のように書いている。
「明るかろうが、暗かろうが、たいした問題じゃない。照明は、演劇やオペラの本質と何の関係もないだろう。それに、照明という仕事の社会的地位の低さ。制作の方が、はるかに高い…。 
こうした照明へのネガティブな気分をもちながら、また、ワーグナーとバイロイトに、なんの敬虔な気持ちもなしに、祝祭劇場の真っ暗な客席に座ってしまったのである。故ヴィーラント・ワーグナー演出・美術・照明による『パルジファル』のハウプト・プローベ(舞台稽古)の最中だった。
目をこらさなければ、よく見えない、うす暗い聖堂のなかに、アンフォルタス王を中心に騎士たちが円形にひざまづいている。
突如、暗闇から一條の真紅の光が、王の持つ聖杯にふりそそぐ。王の顔に、何ともいえぬ恍惚と苦悩の表情が交錯する。
これほど、音楽と劇と光が融合し、離れ難くなりうるとは…。
真っ暗な客席から、いつ立上がり、劇場の外へ出たのかわからない。ふと気がついたら夏の強烈な太陽がまぶしかった。人生の闇と光を同時に体験し、打ちのめされてしまったような感じだった。劇場で、これほどの衝撃を受けることは、一生のなかで、そうざらにはあるまい。」(バイロイト音楽祭日本公演プログラムより抜粋)
バイロイトでヴィーラントの舞台、特にその照明の斬新な表現力に衝撃を受けた吉井氏は、照明の仕事を続けることになった。私が初めて見てワーグナーを好きになった「ワルキューレ」の公演の照明も、吉井澄雄だったのだ。

 パルジファルⅠ
「パルジファル」第一幕 聖堂の場 ヴィーラント・ワーグナー演出 1951年 Wieland Wagnerより

 ワーグナーは、台本と作曲の両方を一人でこなしてオペラを書きあげ、自分の劇場を建設し、音楽家、スタッフを集めて自作の上演にまでこぎ着けたわけだが、ただ一つ、成し得なかったことは、自分の書いたオペラに見合った舞台美術、演出のあり方を見つけることだったのではないかと思う。ワーグナーの生きた十九世紀の舞台技術では、その天地を駆け巡るような発想には追い付かなかった、ということもあったかもしれない。
それからおよそ七十年後、孫のヴィーラントは、祖父の成し得なかったこの分野に、発達した照明技術を持って、全く新しい視点から一つの回答を与えた、といえるだろう。舞台上での視覚的、具体的な説明を排し、ワーグナーの音楽に多くを語らせようとしたというヴィ-ラントの演出は、音楽の力を全面的に信頼したものだとも言えそうだ。しかしその抽象的な舞台は、観客の予備知識を前提とし、ある意味とても玄人向けだったとも言える。
 そうした演出をする一方でヴィーラントは、オペラとは全く縁のない生活をしている人達を招いて、自分の演出した舞台を見てもらい、その感想を聞いた、という。玄人向けの舞台を作ったともいえるヴィーラントが、進んで素人の意見を求めた、というのは面白い。
 作り手が、自分の作ったものを先入観なく、まっさらな視点で見ることは、ほとんど不可能といってもいいくらいに難しい。他人のまっさらな視点で自分の舞台を見たらどう見えるのか、オペラの素人を集めてその意見に耳を傾けたヴィーラントは、自分の作ったものをより良くしたい、という謙虚な気持ちと強い情熱を持っていたと同時に、自分の作る舞台にとても自信があったのだろう。自信の無い人は、素人の鋭い指摘に素直に耳を傾けることはできない。
 真摯に作品と向き合い、常に新しい実験を続け、一つの所に留まろうとしなかったヴィーラントの姿が目に見えるようだ。
五十年代のシンプルで、時にロマンチックな舞台から、六十年代の原始的なオブジェ風の装置が目をひく舞台へと、大きく作風を変えていったヴィーラントだが、「次はウォルト・ディズニー風にやってみたい。」と語っていた、という。それがどこまで本気だったのか、四十九才という早すぎる死は、彼の頭の中に全てを残して幕を引いてしまった。あるいは冗談だったのかもしれないが、ヴィーラントのディズニー風というのは、まったく想像がつかないだけに、見てみたかった気がする。

 私にとって、もはや写真で見るしかないヴィーラントの舞台の魅力は、その照明の美しさ、色彩感覚の素晴らしさにある。特に神秘的な青の美しさが印象に残るが、その色彩は、ただ美しい、というだけではない。舞台写真を見る限り、ワーグナーの描き出したドラマ、ワーグナーの音楽の表すイメージと、深いところでしっかりと結びついている。
バイロイトでヴィーラントの舞台を見た英国のオペラ批評家ピネラピ・テュアリングは、
「…ホリゾント上の素晴らしい色彩効果―ジークフリートがブリュンヒルデを目覚めさせる時の、バラ色から緑青色、そして青空そのものへと絶妙に移り変わるそのさまは見事なもので、それを見た人は誰一人けっして忘れるようなことはあるまい。」
と書いている。舞台上で、音楽とドラマの展開に合わせ、そんな風に移り変わってゆく照明を見てみたかった、と思う。
私は、ヴィーラント演出の舞台を実際に見たわけではない。あくまで写真でその舞台に憧れ、空想を広げてきただけだ。実際の舞台とは、全く違ったものを思い描いている可能性もある。
 しかし、その舞台写真は、音楽やドラマといった形のないものに色彩を与える、ということを私に教えてくれた。色というものが、こんな風に神秘的であったり、奥深かったり、微妙であったりして、まだ見ぬ世界へ人の想像力を豊かに広げていく力があるものだ、ということを教えてくれた。私の色の好みに決定的な影響を与えた一人、色の持つ魅力、色の持つ力を教えてくれた一人、ということができるかもしれない。
  あの雄大な音楽が聴こえてくるような、あんなに深く、神秘的で澄んだ青を、いつか私の絵の中に塗ることができたらどんなに素晴らしいだろう、と写真集を見ながら思っている。


ローエングリンⅠ
「ローエングリン」第一幕 1958年 Wieland Wagnerより

ローエングリンⅡ
「ローエングリン」第二幕 1959年 Wieland Wagnerより

マイスタージンガーⅠ
「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第一幕 1956年 Wieland Wagnerより

マイスタージンガーⅡ
「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第二幕 1956年 Wieland Wagnerより

ワルキューレⅠ
「ワルキューレ」第一幕 1965年 Wieland Wagnerより 

ジークフリートⅢ
「ジークフリート」第三幕 1965年 Wieland Wagnerより 

 黄昏序幕
「神々の黄昏」序幕 1965年 Wieland Wagnerより

黄昏Ⅲ
神々の黄昏第三幕 1965年 Wieland Wagnerより 

パルジファルⅢ
「パルジファル」第三幕 1971年 Wieland Wagnerより 


以下の本を参考にしました。
・新バイロイト(ピネラピ・テュアリング著 徳永叡春訳/冨山房 1972年)
・バイロイト音楽祭 ニーベルングの指環(写真Lauterwasser  吉田秀和・渡辺護著/音楽之友社 1984年)
・バイロイト音楽祭日本公演プログラム(東急文化村 1989年)
・Wieland Wagner (Till Haberfeld ・Oswald Georg Bauer/ Deutscher Kunstverlag 2017年)

2019年5月

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