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トップ〇故宮博物院を見てきました①
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トップ〇故宮博物院を見てきました①

台北故宮博物院「大観」北宋書画特展を見てきました!!


 


 今回の「大観」展は、故宮博物院80周年記念の特別展で、北宋時代の文化に焦点を当て、書画、汝窯の青磁、宋版図書の三つの特別展が同時開催された。詳しい展示案内は、こちら。http://www.tabitabi-taipei.com/youyou/200605/daikan/index.html


出品作品の精密な画像はこちら。http://tech2.npm.gov.tw/sung/






              ―1、北宋の絵画とは― 




 北宋(9601127年)という時代は、中国絵画史上の黄金期、西洋より500年早い中国のルネサンスなどと言われ、中国絵画の主要な流れとなる水墨画が確立された時代でもある。20世紀に入って、北京の紫禁城にあった至宝の数々が、国民党政権とともに大陸を離れて台湾へ運ばれた時、北宋絵画の最も重要な作品の大半も台湾へ移り、台北の故宮博物院に収まった。政治的な理由により、これらの作品が日本で展示されることはない(「故宮博物院物語」古屋奎二著、「遺老が語る故宮博物院」荘厳著、に詳しい、共に二玄社)。


 日本にある「宋画」の多くは、時代の下った南宋(11271279年)のものであり、北宋のものはあまり入ってきていない。そのため、日本で北宋絵画の代表作を目にする機会は、殆どといっていいほどない。


 一昨年、「大観」展の書画出品作品のリストが故宮のサイトに発表された時には、そのあまりの豪華さに驚き、かねて見たいと思っていた、貴重な絵の数々が一堂に会することに、半ば信じられないような気持ちで、まさに万障繰り合わせて、前後期両方とも見に行かねば、と思った。


 


―2、北宋絵画へのきっかけ― 




 僕が北宋の絵画に興味を持つそもそものきっかけを作ったのは、司馬遼太郎氏の小説「空海の風景」だった。もう十年以上前、美大に落ちて浪人していた頃、この小説を読んでいて、華やかな唐の文化の描写に魅かれ、それまで殆どといっていいほど知らなかった中国の絵画に興味を持ち、中国にはどんな絵があるのだろう、と朝日百科「世界の美術」から中国関係の数冊を抜き出してぱらぱらページをめくっていた。その時、北宋の画家、范の「渓山行旅図」が強烈に印象に残ったのだ。これは中国山水画の一つの典型とされるような絵だと後で知ったが、その当時の僕にとっては、全く見たことのないタイプの絵だった。霧の中から聳え立つ、巨大な険しい山塊のスケール感が、絹の上に墨で緻密に、とてもリアルに描き出されている。山の中腹からはまっすぐ霧の中へ滝が落ち、画面の下の方にはびっしり木々の茂った丘と、木立の中の楼閣、ロバを追って道行く人物までが細かく描かれている。縦の長さが2メートルもある大きな絵だと知って、さらに驚いた。北宋時代の他の絵の図版も一緒に眺めながら、こんな絵があったのか、と思った。


 


3、僕にとっての水墨山水



 僕にとって日本の水墨画、特に山水画は、その当時最も面白みの理解できない、平たく言ってつまらない絵だった。解説に書いてある禅の思想とか、省略の美学とかいった抽象的な言葉を読んでいると、これはとりあえず僕とは縁のない難解な絵だと思った。しかし、北宋の水墨山水は、リアルに実景に、自然の壮大な風景に迫っていて、見ていて理屈なく面白かった。水墨山水というのも、もともとは観念以前に、ストレートに自然に向き合って生まれてきた絵画だったのか、と納得できた。それ以来、水墨の山水画は、僕にとって最も面白い絵画のジャンルになった。日本の水墨画も、この流れの後に描かれたものとして見ていると、楽しむ糸口がつかめるように思った。


 しかし、北宋絵画の図版を探していて、印象派やルネサンスを扱った本はこんなにもたくさん日本で出版されているのに、隣の国である中国や朝鮮半島の美術を扱った手頃な本は、なぜこんなにも少ないのかと、大型書店の美術書のコーナーで不思議に思った。高校の世界史の教科書にも、西洋の画家の名前は随分マニアックなところまで出てくるのに、中国の画家の名前は最も重要な人たちでさえ殆ど出てこなかった(最近は改善されたのだろうか?)。その後、中国絵画を紹介する手に入れやすい本も、少しづつ出るようになってきた。その中では、「中国絵画のみかた」(二玄社)と、「故宮博物院」(NHK出版)が良かった。


 


 山水画の面白さは、部分は部分で見られ、全体は全体として見られる、というところだ。見る人は、絵に近づき、絵の中に入り込んで、風景の中を、つまり絵の部分部分を辿って行く楽しみがある。少し離れてみると、今度は風景の全体像が見えてくる。こういう楽しみは、山水画ならではだ。もっとも、山水画と並ぶ重要なジャンルである花鳥画にしても、やはり部分、花一輪、木の一枝がクローズアップされながら、全体は全体としてもう一つのまとまりを持っており、部分の集積のようでいて全体としてもまとまっているという面白さは似ている。そして、墨という画材。北宋の絵画の、あの緻密な空間の広がりと奥行きは、墨の微妙なトーンの変化と透明感があって、始めて可能になったものだと思う。


 


―4、台北で― 




 さて今回台北へ行き、故宮で念願のたくさんの北宋の絵を目の前に見ることができた。贅沢をした思いだ。展示室に並べて掛けられた絵の前で、北宋絵画の緻密、繊細な美しさと、奥行きの深さ、スケールを、空気のように肌で感じた。そして、これだけの傑作が並んだ中にも、その中で更に優れた絵、心に響く絵があり、作者個々の個性、対象の捉え方の違いがはっきりとあった。范、李唐、徽宗など、思い出すだけでも胸が一杯になる、深い(強いというより深い)印象があり、千年もの年月を生き抜いた数々の傑作を前に、時を越えて心が伝わる絵の強さに魅かれた。


 中国画(あるいは東洋画)には、西洋画のような強いインパクトで押し出してくる要素は弱いが、こちらが中に入っていくと、絵の中で自由に気持ちよく楽しみ、自然を感じることができる。そうした楽しみ方が、東洋画、あるいは東洋人の持っている本質なのではないかと感じた。


 作者の気持ち、絵に求めたもの、そしていかに自然を捉えたか、という点は、千年を経て画面がいかに傷んでいようと、絵を通して見る者にはっきりと伝わり、それこそが絵を支える力であり、そこに絵の最も重要な部分もあるように思った。


 台北まで二度も行って見た甲斐があった。               20072


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